仕事用のめもとか。

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ケータイ小説『命の輝き』作者とケータイ小説の「リアル」

ソーシャルメディアとしてのケータイ小説:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

正式なインタビューではないけど、生ケータイ小説家とお食事した時+地方都市ノーフューチャー若人のリアルみたいなお話。

広尾のフレンチレストランに現れた二十歳の彼女は、実に礼儀正しく、しかもコミュニケーション能力の非常に高い女性だったのだ。地元で買ってきたという名産のお菓子まで、わざわざお土産に持参してきていたほどだった。彼女は大きな目をくりくりと動かしながら、一生懸命しゃべる。食事をしながら「どんな小説家が好きなんですか?」と聞いてみると、彼女は朗らかにこう答えた。「山田風太郎です」。その答には少なからず驚かされた。

本棚1.5段分、山田風太郎で埋めている全めも子のアゴが軽く外れました。
小説読まない人がケータイ小説やってんのかと思ってた...まあ風太郎はリズム感いいから...つうても、時代小説中心なわけだから、それ相応に色々接してないと楽しめるもんではないような気もしないでもないけれど。謎。
なにが一番お好きなんだろう。是非伺いたいものです。あ、めも子的には作品として構成とかネタのバランスが最も優れてると思うのは『柳生忍法帖』(厳密には忍法帖作品じゃないけど。上巻のお鳥が跳ぶとことかめっさ好き)、個人的に一番好きなのは『くノ一忍法帖』(丸橋萌え)・『妖異金瓶梅』(金蓮様萌え)・『風来忍法帖』(麻也は風太郎ヒロインの中で最強の萌えキャラ)、毎回ラストで涙目なのは『八犬傳』みたいな。

で、彼女の作品。

彼女の書いた『命の輝き』は、次のようなストーリーだ−−中学生だった未来さんは、両親の離婚をきっかけにして孤独感を深め、普通の人生からこぼれ落ちてしまう。援助交際リストカット、レイプによる処女喪失、そしてようやくできた彼氏にも裏切られてしまう。「お前みたいな女好きになるわけねぇだろ。レイプされたり援交したり気持ち悪いんだよ!親父とやって感じてたんだろ?お前みたいな女は男の性処理玩具なんだよ!」

 そうやってどん底のような生活を送る中で出会ったのが、高校時代のクラスメートの光輝(こうき)さんだった。彼との幸せな日々が始まり、そして気づけば未来さんは妊娠していた。しかしその直後、光輝さんの病気を彼の母から知らされる。「あたしも嘘ならいいと何度も思ったわ…でもね真実なの。光輝は生まれつき心臓に疾患があってね…今年に入ってから更に悪化してもう移植をしなかったら長くないの…」

 それでも2人は結婚を決意し、そうして彼女は3200グラムの娘を出産する。しかしその直後、光輝さんの様態は急変し、そのまま意識は戻らなかった。葬儀の後、光輝さんの母は未来さんに手紙のたくさん入った手紙を渡した。「あの子がね‥まだ見ぬ2人の赤ちゃんに書いた手紙なの‥全部で20通あるわ。子どもが20歳になるまで寂しくないようにって書いていたの。最後の方は手も震えていたの……」

テンプレ感ひしひしなんですが...

ケータイサイト「魔法のiらんど」上で書かれ、このサイトのノンフィクション部門で1位になったという。「ノンフィクション」というジャンルが意味しているように、この物語は未来さんの体験が元になっている。実際、彼女は幼い子供を抱え、地方の小さな街で今も事務員として働いている。

えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ.........
腰が抜けました。いろんな意味で。

ケータイ小説は集合的無意識とかいう話はそりゃそうだろなんですが、なんつーか...ぶっちゃけ、ヨノナカの諸々を享楽しきれない地味女子が脳内ゆんゆんと編み出した「リアル」だと踏んでたんだけどー...
うわーん、世間がわからないー!

=08/01/07追記=
Rauru Blog » Blog Archive » リアリティを構成するもの
まずは「リアリティ」概念の腑分け。

出典を忘れてしまったのだが、十数年前に出たアメリカ製のマイナーな RPG のルールブックの中で、reality という概念を三つに分解して解説しているものがあり、感心したことを憶えている。

Detail
細部まで描きこんであるもの。
Probability
現実に起きる確率が高いもの。
Believability
上記二つの条件を満たしていないのに「信じられてしまうこと」があり、そのように相手を信じさせてしまうテクニックというものも存在する。

ぉぉぉぉぉぉ...これはソース見たい! て、翻訳なさげな悪寒というかなんというかですが。

どのようなものを信じやすいかについては、人類普遍の脳の性質としてハードコーディングされているものもあれば、文化的に刷り込まれた認識フレームワークの穴として存在しているものもある。文化圏が違えば穴の箇所も異なり、異なったテクニックが存在する。さらに日本について言えば、日本という国の中でもムラ社会毎の分断が激しいので、「女子高生ムラ」「アキバ系ムラ」と言ったムラ文化圏毎に何をリアルと感じるかが大きく異なってくる。ムラの外にある物事に対してのリアル認識は穴だらけ、という状況もよく見られる。

携帯小説について言えば、女子高生ムラの外側で起きる事件、ただし事件の噂話は女子高生ムラの中でも多く回覧されている、ようなことを取り上げ、しかも女子高生の知識では真偽のわからないようなムラ外の専門情報をトッピングした、といったあたりが、女子高生ムラ住人の認識の穴を見事に突いたのだ、と考えられる。

にゃるるりり(頷) 無菌室云々ネタとか、冷静に考えればアレすぎですが。
パノプティコンなUchino母校じゃ妊娠沙汰とかなかったですが、あるところはそれなりにあるんだろうしなぁ。

=08/01/16追記=
つーかケータイ小説って、「小説」として考えちゃうからアレなわけで、恋愛系情念blogのエントリを流れがわかる程度につなげたもの、として考えれば内容はとにかくスタイルについては違和感薄くなるかも。
そういう感じのblogだと、たとえば友達やら家族への言及もその場の流れ依存になるから、特に言及する必要がなければ家族構成も曖昧になるわけだし。
というわけで、ケータイ小説は平安女流日記文学の21世紀版なんだよ!!!みたいな非常にいいかげんな〆。要するに蜻蛉日記蜻蛉日記。つうてもケータイ小説を日本的なるものに安直に回収しちゃうとつまらんのでそのへんは自重ですが。