仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

自分の中でまた再燃。「チェスト」ってなんだべさ。

あれですよあれ、主に薩摩藩関係者を中心とする剣道なヒトとかが叫ぶやつ。
何年に一度か思い出して調べてみるんですが、なかなかこう、ちゃんとしたソースに近いっぽいものほど「ようわからん」という話になっていて、長年懸案なのですよ。

前回気になって調べた時に、鹿児島の郷土史関係?のページで結局由来不明、ただし関ヶ原で島津義弘が「前に逃げた」時に叫んだちゅー記録はあるっぽい、みたいなことが記述されてたと思うんですが、現在ぐぐってもヒットしません。まあ最古の記録は1600年としておきますです。

で、薩摩示現流由来としてる記述もWeb上で散見されるんですが、少なくとも現在、示現流のかけ声として「チェスト」と聞き取れるものは使われてない(なんかもの凄く文字にしにくい発声はあるらしいけど)のと、成立年代がまあ同時代ちゃー同時代なんだけど、なんかびみょーに違うということで、示現流由来というのはちゃうんやないかということらしい。
参考:薩摩示現流公式サイト

 天正十五年(1587)七月、島津義久公に従い上洛した重位は、天寧寺において善吉和尚と出会い、弟子入りして半年余、独り研鑽を積み、薩摩に並ぶ者無き剣の達人となったのです。
 そして、慶長九年(1604)には、第十八代島津家久公の命により、タイ捨流師範東新之丞と立ち会い、これを打ち破って家久公に認めらるところとなりました。家久公は重位を厚遇し、重位の兵法が薩摩の地に末永く栄えんことを欲して、他国へ漏らさぬよう、流儀を絶やさぬよう常々語られたと言われています。

ちなみに戦国無双では東郷重位はカステラ食いながらなんか碁盤斬ったりするらしいよーわからんキャラとしてひゃっほいしてるらしい。この辺でチェスト示現流由来説が増えてるんだろうなあ。
参考:404エラー
ただし、山田風太郎の『明治波濤歌』(1980年 週刊新潮掲載)でも、示現流使いってことになっている川路利良(→川路利良 - Wikipedia)が「チェスト!」とか言ってたんで、チェストといえば示現流じゃね?というのは昔からある模様。

で、今回発見した記述。鹿児島の鎧工房さんのページ。どうやら関ヶ原での義弘逃走時を偲んで鎧甲冑つけて行進するみたいなイベントがあるらしい。なんか歌とかもあるっぽです。
妙円寺

20Kmの道中 写真左の鹿児島学舎連合でもあり、鹿児島の歴史の語り部でもある先輩に、色々な話を聞きながら歩き、ここぞとばかり、その由来を聞いてみたところ、納得の行く答えを教えてくれましたので、この場に、そのまま記載しておきます。

『チェスト〜』の由来
 
薩摩 大隈では島津家にのみ伝わった剣術【陰之流】の奇先(かけ声)が『チェ〜』と発生され、島津の殿様は将卒らに、『チェ〜っと行かんか!!』と檄を飛ばしていたとされ、これが 『チェスト〜行け!!』に変化したと考えられる、恐らくそう言う事だろうと教えてくれました。 

納得。

いあ...「ス」はどこから来たんですかどこから! ていうか言葉の縮約ってもうちょっとこう...法則性みたいなものってないっけ...というか分解したら「(チェ〜と行け)行け」なわけで、それもなんだか。
まあ鹿児島弁知らんからなあ...なんかくっついたりはさまったりする「ス」があるのかもしれません。
「チェスト行け」いう表現そのものは他のサイト見てもちゃんと認知されてる模様です。高校野球の応援とかでも使われるらしい。さすが野球道。
参考:チェスト! とは?|鹿児島で暮らす
しかし、陰之流つうてこれ、新陰流(柳生のアレ)のモトになってるやつですよね。あれは全国わりとあちこちに伝わってたよーな気がしますが、よそのかけ声はどうなってるんだろう。

と、混迷を深めつつ色々言葉換えながらぐぐってみると、なぜかSecond Lifeのblogで剣道のかけ声に関する記述が。
セカンドライフの底辺で叫ぶ獣:お店にいると

そこから話が変わる。どうやらデンマークの彼女は剣道二段らしい。俺は三段持ちなのでその会話とかしたらもう二人で剣道談義。かけ声も英語なら日本と大して変わらないんだけどデンマークだと発音自体が違うらしい。

たまたま最初のへんで教えたヒトがなんかどーにかしちゃったのか、英語ネイティブだと日本語のかけ声でもまあいけるんだけれど、デンマーク語ネイティブだと異様に発音しにくいとか、かけ声として使いにくい要素がなにかあって変っちゃったのか、なにがあったかよーわかりませんが、案外へにょっと変異するもんなんだなーということで、素人考えだと、伝統的ななにかって、いったん形が定まったら延々それが続くよーに思っちゃうんですがそーでもないのかもしれないみたいなのは織り込まないとあかんちゅうことですな。

次回思い出したら、
・実際に陰流が島津家に伝わっていたのか、また義弘が陰流をそれなりにやっていたのかどうか
・陰流のかけ声(できれば複数の地方)
あたりから検証していきたいと思います。

=2010/6/19追記=
またまたふと思い出したところでワサーに投げてみたところ、
「野太刀自顕流の端くれが通ります。「チェストー」は漫画やドラマで使われるだけで、「猿叫」と言う叫び声をあげて、斬りかかります。 」
http://wassr.jp/user/tosanokami/statuses/JUOYNx48nF
野太刀自顕流、薩摩示現流から分かれた流派という理解でいいのかしら(薬丸自顕流 - Wikipedia)。
ぐは、実戦ではやらんのか! さらにどういう叫び声かとお伺いしたらば、
「人によって、色々違ってます。文字にするのが難しい…「キエェェェイ!」とか、甲高い気合いの叫びです。」
http://wassr.jp/user/tosanokami/statuses/uPqvGJKgx8
さらに太極拳されてるりゅじさんが、
「気合いの発声の時の呼吸の問題。高く上げながら腕を上げると肺が腕をおしおげて、しりすぼみに吐き出しながら振り落とすと落ちる腕が脱力して早くなる。 連打の場合はその吐き出しと初手の反動で打ち続ける。 じつは太極拳とかでも似た技法を使う流派がある。」
http://wassr.jp/user/tosanokami/statuses/uPqvGJKgx8
同じく太極拳されてるまっちゃさんが
「なんでタンスみたいな言葉?なのかは分かんないけど… 太極拳を練習していた時にならったんだけど、息を吐いてるときの方が力がでるのよね。普段でも。階段上るときに「よいしょ」とか言ったりしますよね。卓球の人に「なんでサーって言うの?」って聞いても(たぶん)分からないように、いろいろ経緯はあるんだろうけど、調べるのは大変そうですな〜 」
http://wassr.jp/user/takasima20/statuses/NLiAtdtYnG
などなど、実際武術されてる方からコメントが。気合い声って大事なんですな。そいや卓球とかテニスとか砲丸投げでもなんか叫んでるですにゃ。って、野球は言わないけど(たぶん)、女子ソフトボールはピッチャーがなんか叫んでたようなうろ覚え… グラウンドの大きさの違いで野球だとマイクで拾えないけどソフトボールは拾えないとかあるんかしら? 個人差の問題かもしんないですが、ひょっとすると叫ばないスポーツと叫ぶスポーツの違いという謎もあらたに!
つか、実際に自顕流されてる方が通りがかるとわ。マイクロブログぱねえわ…
ご教示色々ありがとうございました(はぁと)

よく考えてみれば、なんでそもそも「ちぇすと!」に引っかかったかというと、たぶん気合い声って、出しやすさ的にそんな複雑じゃない母音とか、子音にしても単音に近いシンプル音節が自然だと思うんですが、「ちぇすと!」とか口を横に開いてすぼめてまた開く、になるんで、斬るか斬られるかっつー命のやりとりするときになんで無駄にめんどくさいタスクぶらさげてるわけ?的な違和感があったのかも(10年経ってようやく気づいた)。

というわけで、
島津義弘が「ちぇすと」と叫んだという記録のソースを再度調査
#これ、後付じゃないかという気もするんだよなぁ…
・戦前伝奇小説、剣術小説などを適宜さかのぼって、「ちぇすと」という表現が出てくる作品をピックアップ
という方向に文献調査を考えてみようと思います。
既に無駄にライフワークと化していますが、死ぬまでに初出を確定したい所存…
=2010/9/4追記=
とかいってたら、明治時代の講談本のカタカナ擬音・擬態語が意味わかんなくてすげえというエントリが。
コトリコ
後藤又兵衛ってダレよ…と思ったら、大阪の役で大阪方について討ち死にした武将らしい。強かったらしいけどなんでこんな大暴れしてるのか皆目見当が。
こんな意味わからんものが生まれてきた背景。スポンサーと酒飲みながら、講釈師が語ってその場で速記したもんらしい。声の文化と文字の文化が交じり合ってる感じネー
コトリコ
講談本が「チェスト」の発祥かどうかはわかりませんが、講談本にもこの表現あるのかどうか気になる…

=2010/10/12追記=
ぬあ。フラカンさんにコメント頂いたついでに再度ぐぐる先生を問いつめたらば、ホークスの川崎宗則選手(鹿児島出身)がお立ち台あがった時に、「1,2,3、チェスト—!!!」とかますというエピソードを軸にした記事に、現宗家師範のコメントが。電話インタビューによるもののようです。
川崎宗則が叫び続ける「チェスト!」。ルーツは薩摩の剣術にあり!?(1/3) - Number Web : ナンバー

代々の薩摩藩士が学び、幕末には敵対する志士たちを震え上がらせたという示現流。その十二代宗家師範である東郷重徳さん(財団法人 示現流東郷財団 理事長)に、恐れ多くも「チェスト」の意味を聞いてみることにした。

「“チェスト”というのは、猿叫(えんきょう)と呼ばれる気合いの叫び、自分を鼓舞する時に使う叫び声です。戦が始まる前に自陣で『チェストォォ!』(←電話口ですごい迫力)と気合を入れます。『それゆけ』という心の底からの叫び声ですよね。ただ、実際に斬るときは『エィ』が変換した『キェェェ!』(←さらにすごい迫力)という声になります。チェストは示現流発祥の言葉ではなく、薩摩の方言みたいなものですが、川崎選手の場合も、成績をあげて『チェスト』と自らを鼓舞し、『これからもやるぞ!』と気合を入れているのだと思います」

おお、「示現流発祥の言葉ではな」い! でも「薩摩の方言みたいなもの」……みたいなもの…って、なぜそこで微妙な表現を。

示現流には四つの精神があります。『刀は抜くべからざるもの』、『一の太刀を疑わず、二の太刀は負け』、『刀は敵を破るものにして自己の防具にあらず』、『人に隠れて稽古に励むもの』というものです。そもそも示現流は人に無礼をせず、土下座をして赦しを乞うてでも、相手が抜かない限り、刀を抜かないという精神があります。ただ、ひとたび相手が抜いたからには、自分のすべてをかけて、髪の毛一本分でも早く電光石火で斬りつける。そして、“一の太刀を疑わず”。幕末の頃に示現流の刀を受けた相手が、受けた自分の刀ごと額を十字に割られた逸話があるように、どんな障害があろうと刀を抜けば一撃で仕留める。それができるのは、頭で考えるのではなく、身体で覚えているから。斬りかかってきたその瞬間、身体が反応する。それが示現流の極意です」

剣道全然わからんのですが、このへんかちょええですね。
て、ついでに示現流東郷財団のサイトも見たら、10/3に鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会って、15流派が演武するイベントがあったぽい。
鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会告知ポスター(PDF)
宝蔵院流槍術(宝蔵院流槍術と顔がシカクの相関について。 - 仕事用のめもとか。)とか、個人的に山田風太郎ですっかりおなじみのあんな流派やこんな流派が! これめっちゃ見たかったわ…
第一回とのことですが、例年行事にしたりしないかしらしないかしら。来年もやるなら前泊していっちゃうよ!
〜というわけで現時点の「チェスト」の由来についてのまとめ〜
・「示現流の気合い声ではない」(ソースは現宗家師範)
#陰之流など他の武道由来の可能性もなくはないですが、武道されてる方が軒並み「少なくともかけ声としてはムリくね?」と仰ってるんで、可能性は壮絶に低い予感
#なんで示現流絡みで認識されるようになったかというと、やっぱこれ西南戦争および西南戦争を題材とした諸々で示現流が伝説化して、薩摩ちゅうたら示現流じゃろというイメージが強くなったから…じゃないかな…
#おまけで調べたら西郷隆盛は子どもの頃のケガで剣道はNGでやってない、弟の従道は示現流から分かれた薬丸自顕流デス。