仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

RGN#4いってきました。

3回目の六本木ですが、ようやくあのへんの荒俣風味な力(なんか方角がよーわからんくなる...)に打ち勝ち、迷わずたどりつけました。
六本木ヒルズの近くの国際大学GLOCOMへの行き方(アクセス) - AYS:
今回は予習できたしね! ガイドありがとうございますありがとうございます。

で、当日。えらい申込多いらすいということでほわーと行ってみたら、めちゃめちゃ人多い...どうやら、業界の方&業界志望の学生さんなど大盛りになっていた様子。

GameDeep : RGN#4
ぐぅの音も出ない詳細な内容まとめはこちら参照で。

RGN#4「シナリオライターの眼から見たテレビゲームの特異性」終了! - AYS:
補足資料というか講師の方の業績紹介やら感想エントリへのリンクなどもろもろ。

で、印象に残った点。

  • 共同作業

前田発表、川邊発表ともに「ゲームシナリオは共同作業である」という点を結構強調されてた(業界志望の学生さんもいたので教育的なアレ?) そのあたり、基本的には一人でやる小説やらと「作品性」のあり方がどー違ってくるのかちょい気になる。ハリウッド映画とかは脚本をチーム執筆でやる場合もあったっけ...なんかエラリー・クイーンでクイーンが脚本屋仕事にいって地獄に堕ちる場面があったようなうるおぼえ

  • プレイヤーへの影響

前田発表で、読者/プレイヤーの距離感というか影響の及ぼし方の違いの指摘。

ゲームだと、「モニターの外」にいるはずのプレイヤーにも、影響が出る。
 →プレイヤースキルが上がる
映画や小説、マンガなどでは起こらない現象
――「テレビの前のことを考えろ」by 桝田

GameDeep : RGN#4から引用)
このへんシナリオ云々よりUIの問題とかも絡んできそげだけれど。たとえば読書で教養wとかなんつーか成長、とかもありえないことではないけれど、それよりもかなり具体的に影響出る可能性が高いというか、影響を及ぼせないとエンディングまでプレイできないというか。
逆に言えば、基本的に人間、「新しいことを覚える」のはイヤイヤ無理強い覚えさせられるのでなければわりとそれ自体を面白がる傾向あるので、そのへんにもゲームのおもしろさってあるのかなぁみたいな。...戦闘システムやら戦略覚えたあたりで飽きてやめちゃうっていうのはありえるんでしょうか。基本的にぐだぐだプレイしかしてないのでそこまでいけないことが多い...大神とか大神とか大神とか(すげー面白いことはわかったけれど、生来のトロさと3D酔い癖で挫折)。

  • ゲームvs.ドラマ

川邊発表で、ゲームとドラマの本質的な違いとして、「ドラマには社会倫理の主張「テーマ」があるが、ゲームにはない」&「しかしゲームにはドラマにない根本テーマ「Survive!(生きよ!)」がある」という指摘があったのですが(例として巨人×阪神戦には正義はない、ということをおっしゃっていたけれど、まあ将棋の対局とかでイメージするとして)、ファミコン時代ならとにかく*1、「世界観」「ストーリー」を「参加意識」の呼び水にするゲームの方が圧倒的に多いわけで、本質的には違うもの、不要なものを遊びを引き出すエンジンとして使っているという側面もある、ということでいいのかなぁ...ひょっとしたらそこで齟齬が出ている異界なゲームとかどっかあるかもしれない予感。あったら教えてください。

ところで、先日FFIIIの「闇の戦士がいきなり出てきていきなり消えた!問題」にでくわし、わりとゲームのストーリーテリングって大ざっぱだったんだなーと思いつつ、小説で同じことやったら中学生以下確定ですが「ムカシのゲームだしこれはこれでいいや」と感じる部分もあり、そのあたり細部のつじつま合わせの要求水準が小説なんかと違うのやっぱ?とか、それはFFIII昔のゲームだからであって、今のは細かくつじつましてるのかとかびみょーな疑問がぐるぐるしており、そのあたり、増田先生いらしてたらひっそり伺いたかったのですが、人大杉で知ってる人そもそも見つけられず...しょんぼり。

=06/12/19追記=
RBB TODAY | ブロードバンド情報サイト

*1:『初めてのファミコン』参照。PS2?世代の男子中学生がファミコンげーをやって、「なぜこのキャラはこういうことするのか」とかやたらに聞く場面がいくつか出てきます。イッキとか。そのへんは世界観の提示やらストーリーによる説明づけで「なんでこれをしなきゃいけないか」がゲーム内で明示されるようになったラインがファミコン以降のどこかにあるはず