べにぢょさんがヤン魂プレイヤーだったとかでぶたまげた件。
「疾走、ヤンキー魂(疾走、ヤンキー魂。 - Wikipedia)」、ヤンキー世界観によるMMORPGという異常に意欲的なタイトルながらなんつーか時代の3周先を行ってしまってねえか感とか、課金まわりがしくったのかなー...なんかトラブル出て運営ぐだぐだのまま終了...とかいいつつ、08年春復活すんのかよ!みたいな紆余曲折多いタイトルですが。
■New Generation Chronicle:べにぢょ――ギークプロトコルの解読を試みるサイバーヤンキー (1/3) - ITmedia エンタープライズ
...折りに触れてエントリ拝見してはいたのですが、腰が抜けた。
他の女性プレイヤーも入りやすいタイトルなら、男女比半々あるいは女性優勢なのもあるかもですが、コンセプトやらデザインやらの印象でいえば、男女比9.8:0.2くらいじゃね?と見積もらざるをえないヤン魂にこんなプレイヤーさんがいたとわ...
で、記事のフォローとしてヤン魂における共同性。
■Re:ヤンキー魂から学ぶネットコミュニティの設計 - べにぢょのらぶこーる
最初にちゃりんこでスタートして原チャ・バイクの免許を取るまでの過程もそうなんですが、各種イベント、シナリオを全て1人でこなすのは至難の業です。
誰かの助けが必要なので、学校へ行って 「○○手伝ってください、お願いします」 と、ひたすらチャットを出します。
こう書くと「そんな教えてチャンみたいな奴、誰も助けねーヨ!」と思われるかもしれませんがむしろ争奪戦くらいの勢いですぐに見つかります。なぜか?やることがないからです。
ここに、クソゲーだからみんなが構ってくれるという、新しい展開が生まれます。
これなんて「お礼は葉っぱでよくってよ」(→「女神幻想ダイナスティア」)。
まあでも、クソゲーであったら自動的にこうなるわけじゃなくて、定住者&新規のバランスがよかったからじゃないかという気もかなりしますが。
定住者に対して新規が多すぎると、かまう余裕なんぞなくなるのがねとわくコミュニティのサダメ。
★マブがいればそれでいい
ヤン魂では友達のことを 「マブだち」 と呼びます。以下マブね。
正直、ゲームはどうでもいいんですよ。マブと一緒にバカやれる場があればそれで良かった。
ヤンキーというキャラクターで、学園という設定で、意味のないチャットを出して笑ったり
コスチュームを揃えて記念写真撮ったり、そういう他愛ない馴れ合いの時間が
何よりも楽しかった。
ああこのへんはうさだ分類のコミュニティ論者方向になると思うのですが、MMORPGをすなるものとして、非常によくわかるところで。
「マブ」なヒトらとどうにか連絡とって、フツーにオンオフ問わず友達になるとか一緒に別のタイトルで遊ぶとかじゃ、ヤン魂での面白さは再現不能なんだよなー...
たとえば、運営終了しちゃうから一緒にFFXIやろっかっていう話になって、んで一緒にやれたとしても、ヤン魂ではおもろいネタ師だったヒトがFFXIでは困ったちゃん化しちゃうとかそーいうことも稀によくあるだろうし。FFXI→ヤン魂その他タイトルというのもありげ。
ねとコミュニティのおもろいところは、リアル人間関係とか情緒が纏綿とかで理解可能な部分ももちろんあるんですが、その場のノリ、空気、望ましい振る舞いをシステムやらインターフェースが強力に方向付けるちゅうとこにもあったりするんですな。
もちろんリアルでもそういう「場」をコントロールするデザインちゅーものは色々あって、「学校」とかもそういう面があるだろうし(だからこそヒトは夜の校舎で窓ガラス壊して回る。めいび。)、そこまで制度と露骨に結びついてなくても、ラグジュアリーホテルとかだと、まあなんかちょっとは行儀をよくしようとかなんとか発生する。
そのへんの技術とのつながりとかもそのうち誰か論じてくれないかにゃーと無精2.0はさておき、リアル空間でそーいうことすんのは色々めんどくさいコストがかかるのに対して、ねとコミュニティの場合ははるかにローコスト、そしてはるかに多様な「場」を生み出しちゃうのが凄いのです。と明後日の方向に一人関心しながらこの項〆。