仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

2ちゃんねる総括いろいろ(随時追記)

ビジネスマンが2ちゃんねるから学ぶべきこと - 池田信夫 blog(旧館)

しかし世のビジネスマンが、2ちゃんねるから学ぶべきことが一つだけある。それは、ウェブでサービスが軌道に乗るにはシステムの自由度を高めることが必要条件だということである。
(略)
オープンソースや「ユーザー生成コンテンツ」を支えているのは、金銭的なインセンティヴではなく、ユーザーが情報を提供するモチベーションである。インセンティヴは報酬によって引き上げることができるが、モチベーションを上げる決まった方法はない。個人が情報を生産する目的は多様であり、その成果の尺度も決まっていないからだ。しかし一つだけいえることは、こうした多様な目的を許容する自由度が高いほどモチベーションを高めやすいということだ。だから、なるべくオープンにして参加の障壁を下げることが不可欠である。

自由度を上げると、ノイズも大きくなるが、LinuxWikipediaのように母集団が大きくなれば、フィードバックも大きくなる(*)。「みんなの意見は正しい」とは限らないが、「集団の知恵」でノイズを事後的に修正することも可能になる。この場合に重要なのは、間違いをおかさないことではなく、ちょっとぐらい間違えてもシステム全体に影響が及ばないよう冗長性をもたせ、過渡的な間違いは許容することだ。それがインターネットのbest effortの思想である。

日本の企業が情報産業で失敗するのは、この点を理解していないからだ。製造業では、欠陥車で人が死んだらあとで直しますというわけには行かないので、事前に品質管理をしなければならないが、情報の世界では間違いを事後的に修正するしくみさえしっかりしていればよい。ところが個人情報保護法をめぐる騒動をみればわかるように、日本の企業は(政府やメディアも)一つの間違いも許さないという製造業のカルチャーがいつまでも抜けない。

もちろん、自由は必要条件であって十分条件ではない。ただ自由なだけでは、いくらアクセスが集まってもビジネスとして生き残れないから、自由をそこなわない範囲で秩序を維持する設計が必要だ。しかし両者は単純なトレードオフの関係にはない。最初から厳重に品質管理して参加を制限するとユーザーが集まらず、サービスそのものが成り立たないので、いくら品質が高くても意味がない。自由と秩序は、前者なしで後者がありえない辞書的順序になっているのである。

裸画像流出→出身高校のコミュに貼り付けくらった例の方とか考えると、間違いを事後的に修正するしくみさえあればいいとは思わないけれど、「品質管理」の方向性が違うのはそりゃそうだと。

言及先。
Nupediaについて:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:ITmedia オルタナティブ・ブログ
Wikipediaに先行して、敷居高いは審査きついわのWikiベースの辞書があったらすい。
敷居高杉な結果、項目が2桁止まりにとどまり、サブプロジェクトだったWikipediaがオンラインCGM辞典として不動に。