あ!ソレだ。
前にちょとほげほげと書いていたFFIIIの「闇の戦士がいきなり沸いてなにこれじーさん達の真の姿だったりするわけ?と思えばいきなりどっかいきやがった(蜘蛛ねーさんに出会い頭にぱくーされたですか?)問題」ですが、
この辺、伏線を張りづらいけれども(プレイヤーが忘れるから)、プレイヤーを毎回びっくりさせないといけないという、何日間にも渡って断続的に鑑賞されるゲームというメディアでストーリーを語ることの難しさを感じます。
近代小説という形式が成り立ったのって、「長いストーリーをキャラ立て&章立てしながら語る技術」ていうのがどっかの時点で製本技術やらなにやらのハードの進化もあいまって出てきたからだと思うのですが*1、それがそもそも可能になったのは書物というメディアの「わけわかんなくなったら前を読み返せばええねん」性の高さがあるわけなんですが、ゲームは根本的に受容の時間軸が異なると。というか集中して速解きとかは一周数十時間とか余裕でかかる超大作RPGなんかだと特に「忘れないために」必要なメソッドなのかもしれません。
ストーリーは、プレイヤーを引き込むのにもっともお手軽にしてわかりやすいエンジンではあるのだけれど、メディアそのもののあり方やその消費のされ方からいくと、なんかこー...整合しない部分があるというかもにゃもにゃ感が合点。再開時に「前回までのあらすじ」ショートムービーを自動生成させることは、技術的にはできることだと思いますが(よく知らないけど)。
それやっても本質的にな部分は変わらない気も激しく。