仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

芸術は暴発ダ。岡本太郎「明日の神話」を見に行った。

えー、土曜にぱやぽやと行ってきました東京都現代美術館
岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルページ [Hobo Nikkan Itoi Shinbun Partnership]
大昔、木場から歩いて危うく遭難しかけたのですが、今回は錦糸町から都バス20系統。真ん前につくぜいえーい。

で、クソ暑かったし、なんたって現代美術館だしガラガラだろうと踏んでいたら...丁度ジブリの背景画家の特別展やってるわ、さらに吉永小百合の朗読イベントやってるわでチケット購入30分、ジブリの方は入場40分待ち(常設展は入場待ちナシ)。風太郎の命日だったんで、『魔界転生』でも読み返そうとバッグに入れてたんでまあ耐えられましたが、正直舐めてました。生小百合見たかった...
なんにせよ、太郎見に行きたい方には夏休み期間終了後を激しくお勧めします。まあ暑い時に見た方がいい絵だとは思いますが。

で。「明日の神話」。

展示室の角の手前のへんで先を行く人から「でけえ」「でかッ」とうめき声が。
.......マジでかい。横にデカいのもあるけど縦もデカい。体感でダイオウイカさん7匹分(18m級)くらいある。
東京の美術館でコレを展示できるのはこの部屋だけとかなんとか言ってましたが、もうみんな半笑い。いくらなんでもデカすぎる。笑う。どうしていいのかわからない。

複製技術時代の芸術として、生アウラを出すには「スケール感」というのは非常にてっとり早いような気がした。逆に超小さい、超精巧方向もアリかな。
ルーブルくんだりまで行ってモナ・リザ見てもあーハイハイだと思うんですが(実際行ってないからアレだけど)、明日の神話はウェブとかポスターとかで結構目にしてたものの、この腰砕け感は複製からは惹起しえない。
なにげに他の収蔵品も大きな作品が目立ったような気がするけど、そのへんの事情もあるのかしら。

全体の感想としては「コレ、ほんとにホテルのロビー用に作ったのカ...正気かおい」というところ。
いや、メキシコの場合「死者の日」とかに象徴されるよーに死生観が異常に明るいとかなんというか日本の感覚と違うという話もあるんですが、快適性とか平山郁夫性とかそーいうのが優先されるホテルのロビーにコレって...核をモロに描いてるコレは重すぎるというか爆弾すぎるというかいくらなんでも黙示録すぎるというかなんというか。文脈ぶっちぎりすぎだろう。
真ん中の、背骨の中まで放射線で灼かれて緑になってる白いヒトとか、なんかびみょーにエヴァンゲリオン量産型を思い出しましたがなんで思い出したのかよくわからん。エヴァ出た時はまだ「明日の神話」は倉庫で埋もれてたんで、直接的な影響関係はないはずですが。
それにしても、メキシコ人実業家に新たに建てるホテル用に、てことで依頼を受けて完成したはいいものの、ホテルのプランごとあぼんぬして、長らく行方不明になっていた...という話なんですが、いったいどういう建築プランだったんだろう。そっちの資料も残っていたら見てみたいものです。

明日の神話」および原画は撮影フリーなので、バシャバシャ撮ってみたのですが、W-ZERO3のメール設定しくってなんか外へ出せない...出せるよーになり次第またうpして細部にコメントします。緑のキツネと茶色のタヌキが自分的には非常にナゾかった。

他の展示もなかなか面白く、特に「やたら長いパイプのくっついた椅子に座ってパイプを耳に当てると、変った風に音が聞こえておもろいよ」作品(藤本由紀夫「EARS WITH CHAIR(MOT)」)はハマりました。自分の微妙な音感だと低いソの音で弦楽器が一連隊くらいで唸ってるように聞こえるんだけれど(ラヴェルボレロの低音部みたいな方向)、そこに他の人の足音が混ざったりするのはいいとして、足音が全然違う音に聞こえて面白い。目で歩く動きを見て、ああこの音はあのヒトの足音なんだというのはわかるんですが、目と耳が全然一致しない。
見た目&解説で単にノイズになるんじゃね?と思ったけれど、非常に音楽的な体験でした。

でもさー、リキテンシュタイン(相場よりぼったな6億円で購入したハズ)とかウォーホルはもういらないと思うの。
なんつーか現代枠としてはあのへん定番ブランドなんですが、倉敷の大原美術館とかも大原家の趣味で集められた年代のコレクションは非常に面白いんだけど、その後にあのへんの定番が適当感あからさまに並んでるとマジ萎える。個人収蔵ベースの美術館てやっぱ面白いと思うんですが、現代物を継ぎ足し購入するにしても、「コレクターが今生きてたらナニ買ったか」を突き詰めて選んで欲しいと思った記憶。

とかなんとかいう話はさておいて、この「明日の神話」、来年の春までは都立現代美術館で公開されるんですが、その後どーなるのかはまだ未定っぽい。なにしろデカすぎる...とにかく縦にデカいのがアレすぎる。5.5mがあんなにデカいとは思わなかった...2階分だもんな。
というわけで、むしろ専用の常設展示場作った方がはやくね?という勢いではあり、誘致話もある模様。名乗りを上げているのは、広島と長崎など。

『TARO's Port Hiroshima』の跡地
広島の現市民球場潰してなんか建てるっぽいんでそこにしまえという活動。
ただし、まだ事業者は未定というか、完成までいくといつになるのかよーわからん。持ってくるのを先に決めちゃって、それに合わせた建築プラン立てるとかになるのかな。

兼子ただし「スピードストレッチ」その驚きの効果を紹介します
こちらは長崎。具体的にどこに展示するかは設定されてない模様。でもデカいから!覚悟してください...

自分、実家が市民球場に歩いて行ける範囲なんで、広島に来れば便利じゃあるんですが...*1

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岡本は1963年8月、広島での取材を基に朝日新聞に論考を発表しています。彼はまず、あの日のキノコ雲を「何ともいえぬ綺麗な雲でした」と表現した被爆者の手記を引用し、≪明日の神話≫のモチーフを予言するかのような以下の文をつづります。
  「誇らしい、猛烈なエネルギーの爆発。夢幻のような美しさ。だがその時、逆に、同じ力でその直下に、不幸と屈辱が真黒くえぐられた。
  誇りと悲惨の極限的表情だ。
 あの瞬間は、象徴としてわれわれの肉体のうちにヤキツイている。過去の事件としてではなく、純粋に、激しく、あの瞬間はわれわれの中に爆発しつづけている。」 
 そして、その目に映った広島を激しく批判します。原爆慰霊碑の前で拝み、記念撮影して、ホッとした顔でぞろぞろ観光バスに引き揚げてゆく団体客。平和、平和とお題目に泳いでしまっている平和運動。被爆者の声を夏の風物詩のように集めるジャーナリズム。慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」にも、独特の批判をぶつけます。
  「『過ち』は過去のことだ。『繰返しませぬ』というのは未来である。だがここに象徴的に、現在が欠けている。
 現在、責任をとらなければ、過去も未来もヘッタクレもありはしない。
とかく、過去の非をあやまり、未来を約す。そんなのが奇妙にホロリとさせ、効果をもつのだ。ただ今こうであると誇り、生身で責任をとる、そういう強いモラルは打ち出さない。」
  岡本は、碑文にホロリとするだけで?現在?に立ち向かおうとしない人々や、何をもって平和とするか、?立場?が明確でない平和運動に憤り、「時・空においておのれが象徴的にぬけている」と断じています。

というわけで、ヒロシマナガサキの在りようを批判してたという文脈もあり、広島とか長崎に持ってくるのはわかりやすいちゃーわかりやすいんだけど、びみょー。そもそも「明日の神話」は第五福竜丸が主題なわけで、ちと文脈ちがくね?という違和感もある。なんでヒロシマなりナガサキではなく第五福竜丸だったのかっつーと、それが「冷戦時代の現在」であるからに他ならないんだろうなという気もするし。

というわけで、個人的には関心を持ってる人が巡礼のよーにやってくる「被爆地」ではなくて、この「現在」のありように先陣切ったくせに核の恐怖というものがこの世にあることを忘却するだけでなく、いまだに核兵器を作り続けているところ、さらに美術館ではなくて、関心もってようがもってまいがいやおうなく目に入ってしまうところに置いて欲しい気がするですよ。

例えばNYのバーニーズ。うにくろが買う買わないで色々やってるところですが、もし買えちゃったら、この際、建物の片面分のショーウィンドウ潰してぶちぬいて、2階分つなげれば入るべ(たぶん)。直射日光来ちゃうけど作品保護もきっちり出来るガラスとかあんべ。ついでに太郎とベン・シャーンのTシャツ売りまくっちゃえばいいべ。カジュアル系ブランド大激戦区なんだし、そんぐらい強烈なCIやってもいいべ。
というわけで柳井かいちょーよろしくです(はぁと)

ほんとは政府がやってもいいことだと思うんですけどね。「ワシントンへんにでも国連関連機関建てる金だすからそこに置け」とかで。やりゃあせんけーの。

渋谷区、岡本太郎作の巨大壁画「明日の神話」招致に名乗り - シブヤ経済新聞
て、「渋谷マークシティ内のJR渋谷駅西口から井の頭線改札に向かう2階連絡通路の壁面」て誘致もやるっぽい。ええかもしれん。
渋谷で待ち合わせする時に、「んじゃ太郎の福竜丸下へんにいるわー」とかいうのもシュールだけど。ハチ公前よりは待ち合わせ場所としてマシな気はする。

=おまけ=
展覧会 「男鹿和雄展」 (7点/10点) - Samurai Note.
おとなりで引っかかった、日曜にMOTいらした方のコメント。日曜はもっと混んでたらしい。
いやほんと、あのデカさってなんつーかなにもかもどうでもよくなりますよね...

*1:ちなみに投下時は、父方の家族は祖父の転勤で神戸にいたそうなんですが、父の本籍地のままだったらほぼ確実に一家全滅くらってた悪寒。母方の家族は広島でもド田舎に住んでたので、当時看護婦やってた祖母が救援で広島入りして入市被爆者認定受けてるくらい。