仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

ちゃねらーである、ということ。

■2ちゃんねらーはなぜ「2ちゃんねらー」と呼ばれるのを嫌うのだろうか@シナトラ千代子
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20051007/

自分が「2ちゃんねらである」という人はひっじょーに少ないでしょうが、「××の板とかちょっと見てる〜」とかいう人は結構多い。『教科書にのっていないインターネットの歴史』の後半に話が出てきますが、UGコミュニティ(びみょーな言い回しですが)とかなんとか言えてたのって、おそらくネット始まってほんの2、3年くらい? 

非常にいい加減な印象ですが、たぶん酒鬼薔薇事件で少年Aの顔写真が出て瞬間もりあがった、その後もにょもにょと後退していったような気がします。ネオ麦茶事件はどーよとかありますけどまあとにかく、あれは結局本人だったら真顔でマジレスしちゃった厨ということにしておいて、インターネットは匿名でやりたいことは「なんでも」できるところじゃないっていうのが浸透し、プロバイダ責任制限法ができ、そしてグーグルの普及で鬼のように検索避けしない限り、ふつーの人が見てることを前提にした、たまに祭があったりなれ合ったりと終わりなき日常をしのぐ場所になり、某女子大で聞いてみたら30人に数人がどうやら見てる...らしいことをほのめかしたりもするような時代になりと。

確か遠藤薫先生が、ちゃんねらについて「ちゃんねらは2chという場ではちゃんねらを演じてるんだ」みたいな流れの話をされてたような記憶があるけど、出典忘却。

自分が見ているのは比較的紳士淑女スレではあり、特にカルロス・クライバースレ*1の煽りへの耐性の高さには驚倒してたりするのですが、それでも荒れたりとかもめたりとかスレの定義で食い違いが出た時とか、なんとなく秩序回復したりなんとなく収拾つかなくなって終わったりとか、そのへんのダイナミズムは相も変わらず不思議です。誰かフィールドやんないかなー。

ぐは、なんか二重にトラバいっちゃってる模様...ごめんなさいごめんなさい。

*1:他のスレだったら誰かが反応してぐちゃぐちゃになるような、内容ナシ否定的コメンをもののみごとに完全スルー。