仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

熊本SIM@SLに行ってみた。

2008-05-14 - 題材不新鮮 SF作家 飛浩隆のweb録
ほわほわ。
【セカンドライフ2008】仮想世界にリアルな写真展示、国際展に入賞した「建築デモ」 - デジタル - 日経トレンディネット
はわはわ。

こ、これはちょと行ってみたいお!というわけでSecond Lifeを久々に起動してみたのですが....
そこに居たのは初期値のままのデフォルトねーさんだった....
こんな格好でかちょええところをうろうろしてて、一応リアル面識いただいてる方に出くわすといやんというよくわからんF2層心で、とりあえずデフォルトねーさん脱却を目指すことに。
といって課金するのもイヤだし、SL内は広すぎてわけわからんし、無料アイテムをWebで探すよ!

アイテム : THE SECOND TIMES
ぬーん...
特集|【特集002】セカンドライフのフリーアイテムたち : THE SECOND TIMES
お。こういうのこういうの。ゴスロリはいくらアバターでもちょっと...なので、とりあえずキモノげとしようと熊本城へゴー。
.......て、うちの環境だと相変わらずWebブラウザからSLブラウザへ座標の受け渡ししてくれません。なんか設定やらにゃーいかんのかのー。
しゃーないのでサーチでKUMAMOTOと入力して、出てきた一番上にテレポートだ!

〜通りすがりの紳士にお店の場所を教えてもらったりしつつ(助かりました! 島は正しいところに着いたんですが広くて店がどこだか...↑の行き方だと、東に進む感じ)、どうにかお店にたどりつき、キモノだけじゃなくてタイニーアバター?(人間型じゃない低頭身型?)とか花柄ワンピとかも色々フリーで提供されてたので女物は根こそぎ光速でクリックさせていただき、どうにか着せ替えの仕方がわかるまで小一時間〜

キモノ着れたお!!!
シャツ+スカートに別パーツで右袖、左袖、帯と乗せていく感じ。足袋と草履?もついてておkおk。
ようやく着てちょっと動いて袖がたなびいた時は軽く感動。て、SSだと袖がなんかおかしいけど、もっとキモノっぽいです。はい。

あと、髪とか顔とかも一応いじくってみる。髪は特に難しいのぅ...
顔、どういじっても肌の色のせいだかなんだかほうれい線が目立って軽く発狂しそうになりました。
さらに、クローズアップで見たときにバランス取ろうとすると、離れてしまうとなんつーか地味すぎてよくわからんことに。色々微妙。口とか目はそうでもないけど、鼻のコントロールがむずい。鼻の長さの調整はどうすりゃええんかのー。

....で、ここはどこよっていうか後ろの像はなんじゃこりゃ?

十字架かけてる前髪立ち少年ということで天正少年使節?と思ったら、看板見ると天草四郎...なんで......?

.........私、天草市って長崎県だと思ってたけど違ったんだ........あわわわわ。
島原の乱の原城は長崎県なんで、そのへんでごたまぜにしていた模様。五島列島も長崎県だし。

KUMAMOTO JAPAN 熊本ジャパン/セカンドライフ Second Life/熊本県
公式サイトみると、観光客向けホテル+地元メディアで熊本情報発信!がベースのSIMだと思うのですが、と、とりあえずアホ1名の矯正に成功しましたよ!ということで....

=おまけ=
確認のためWikipediaうろついててぶたまげたエピソード。島原の乱後のことですが。
島原の乱 - Wikipedia

天草は幕府直轄領(いわゆる天領)となり、鈴木重成が初代の代官となった。鈴木は禅の教理思想こそがキリシタン信仰に拮抗できると考え、曹洞宗の僧となっていた兄の鈴木正三を天草に招き住民の教化につとめた。一方、住民がほとんど戦没して無人地帯と化した地域(例えば大矢野島など)には周辺の諸藩から移住者を募って復興に尽力した。天草の貧しさの原因が過大な石高の算定にあることを見抜いた重成は検地をやり直し、幕府に対して何度も天草の石高の算定を半分の2万1000石にするよう訴えた。しかし、幕府は前例がないとしてこれを拒絶した。そのため、重成は承応2年(1653年)に江戸の自邸で石高半減の願書を残して切腹し幕府に抗議した。幕府はこの事態に驚愕して重成の死因を病死と発表し、養子の重辰(正三の子)を2代目の代官に任命した。この事実はやがて天草の領民にも伝わり、領民は皆号泣したと伝えられている。重辰もまた天草の石高半減を訴えたため、万治2年(1659年)に幕府は天草の石高半減を認めた。

直轄地の代官だから要するに官僚なわけで、「オレ領地(はぁと)」でもないし、故郷でも全然ないし、なんで切腹まですんのー!?
鈴木重成 - Wikipedia

天正16年(1588年) - 承応2年10月15日(1653年12月4日))は、江戸時代初期の幕臣・天草代官。鈴木重次の三男。禅僧で仮名草子作者の鈴木正三は兄。三郎九郎を称する。
徳川家康・秀忠に仕え、大坂の役にも従軍。元和6年(1620年)、仏門を志した兄・正三に家督を譲られ、700石を知行する。
寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱では追討使・松平信綱に従って戦地入りし、原城攻撃に参加。一番乗りの武功を顕彰されている。戦後の寛永18年(1641年)、天領となった天草の代官に任じられる。
(↑と内容的に被るので略:引用者)
このために、天草の郡内には重成を祀った鈴木神社が建立され、名代官として長く追慕される存在となった。

いやそりゃ神社建つわ...
ちくと復活して厚労省とか厚労省とか厚労省とかお願いしたい...