仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

隆慶一郎vs.山田風太郎をモテ系vs.非モテ系で語ってみようとしたが途中で飽きた。

かなりうろ覚え。家に本はあるんだけど、どこにいってるんだか。
で、なんでこの二人を比べるかというと、ここ10年山田風太郎らぶというのがあるのもあるのだけれど、まあだいたい同世代で、しかし戦争体験が正反対で書く物も正反対てところでわりと対比しやすい組み合わせなのです。


て、隆はあんまり読んでないんですけどね。「吉原三部作」と『死ぬことと見つけたり』くらいで。あと一夢庵じゃなくて「花の慶次」をちょいw
風太郎はそれなりに読んでますが。


で、結論からいっちゃうと、隆はあんまり好きではないのですよ。そりゃ面白いのは面白いんだけれど…なんつーかこう、マッチョというか、てらいなくヒーロー張れちゃうあたりとかが好かんのです。公界の者とかまあ、網野史観で浪漫で徳川幕府存立をめぐる陰謀ありーの、エロい美人がテンコモリなんですが、なんかこう・・・陰謀説ちゅーか「実は歴史の裏側にはこんなことが」がイヤっていうか、要するに「大きな物語」の外へは出られないヒトだという感覚が妙に確かにあるのです。世界との齟齬があんまりない。つわけでモテ系。
モテ系っぷりで典型的なのは、『死ぬことと見つけたり』の冒頭で、自分と「葉隠」の出会い学徒出陣だったかで中国行くのに憲兵ウザい、んでこれならいいだろっつーて「葉隠」の中にちょこまか仕込んで持ってって…云々、て、「ヤンチャした若い時の自分」バナやってるんですね。これだけじゃあんまり過ぎですが、とりあえず戦争体験に屈折持っていない印象がある。


対して風太郎は、終戦前後は医学生、なにせ「員数外」で自分をアイデンティファイしてる思春期でしたから、当然のように当時の雰囲気を斜めから見てたわけなんですが、疎開先でもう日本はガチで負ける、絶対負ける、って確信もった瞬間に、物凄い出遅れまくりなタイミングでいきなり自分たちから革命起こして日本をどうにか勝たせなきゃいけないと七転八倒して、で、友達に打ち明けたりするんだけれど、なんというか学生同士にありがちなマウンティング戦略話見たいな話に受け取られちゃって、あーもう駄目だコリャで七転八倒深めて失意体前屈のまま終戦迎えるのです。(『戦中派不戦日記』)


かなり一目ぼれっぽい出会いをした奥様(『不戦日記』で出会った日の記述が出てきますが、抒情。)と結婚して、日常エッセイやら自宅でのインタビューを見る限りでは晩年までらぶらぶっぽく過ごしていた…んではないかと思われるんでアレなんですが、でも心性としては非モテ系でしょう。やっぱり。世界からの疎外の徹底的な自覚と失意体前屈っぷりが。ダーク非モテ系ではないですけどね。ホワイト非モテ。妖精コース。


風太郎は、かなり縦横無尽に戦国時代〜江戸初期話を書いているんですが、メインで公界の者に近いのが出てくるのは、『忍法封印いま破る』(一度改題してる記憶もあるけどもう一つが思い出せない。ちなみにもう一つの長安話『銀河忍法帖』の続きみたいになってます)と、香具師が主人公の秀吉の小田原征伐へんの忍城攻防戦を描いた『風来忍法帖』くらいかな。前者には「オゲ」(まぁサンカということで良いんだろうと思う)が出てきます。


これ、オゲの長の一人娘が物凄い美人で大久保長安(魔人モード)の妾になる。妾になる時にまあ親とは縁を切るんだけれど、長安のことだから産まれた息子に「オゲ丸」とまんまな名前つけちゃって、で、誰も構わないもんだから結局長安の娘が嫁にいった服部家で半分育てられて、忍法の物凄い達人になっちゃった、んで、長安が死んで大久保家潰される、なんだけれど長安が死の直前に種付けしておいた3人の妊婦(これがオゲ丸の婚約者…になりそうな娘、いい雰囲気の娘、オゲ丸らぶのセクシー娘だったりするけど)を守って、どうにか長安の遺志を継ぐ子を産んで育てロという遺言を受けるんだけれど、んなことされたらこっちもとばっちりで潰される、と服部伊賀忍者の化け物に追い回される。で、凄惨かつ奇想天外忍者バトルやりながら、江戸〜名古屋〜信州あたりか、まあ日本の真ん中をぐるっとまわる風太郎お得意のロード忍法小説であり、大傑作「くノ一忍法帖」と並ぶ妊婦小説でもあるわけなのですが。


オゲの長から言えばただ一人の孫なんで、縁は切ってるけどほんとに微妙に遠くからオゲの一族からサポートが入ってる。で、赤ん坊抱えて、もう与えるものもないし疲れ果てて途方に暮れているところでやっと出会う。で、赤ん坊に乳をやろう、て抱き取ろうとする。

でも、オゲ丸は拒むんですね。オゲの乳は穢れるから駄目だっつーて。

そこで作者の声なり描写なりが差別がどーのとか声高に入ったりは絶対しない。もう「そういうもんだから」くらいのさらっとした描き方。


少なくとも吉原三部作の場合、主人公は公界の者ではなく、それに義を感じて助ける皇子、『影武者徳川家康』の方も恐らくは、「徳川政権は公界の者を弾圧したけど実は家康も公界の者でした」話とつながってるんじゃないかと思うわけで、世間の知らないところでひっそりと正義(ミャハ☆)みたいなことしてるんじゃないかと思うのですが、その頃、風太郎唯一といってもいいくらいのヒーロー、柳生十兵衛が主人公の『魔界転生』(沢田研二と窪塚に改めて呪い…天草四郎は雑魚なんですよ!雑魚!なにがエロイムエッサイムだゴルァ)と『柳生忍法帖』でなにやってるかっていうと、「弱い者へ義を感じて暴れてみたら、結局徳川政権盤石のガッツリ支配体制確立に寄与しちゃいました」てあたりで。それもやっぱり、それぞれ文庫本2冊の長さに、「できることなら読み過ごしてくんないかなこのへん」くらいの感じで、『柳生』は1巻のわりと最初の方に2、3行くらいだったかな、で、『魔界』はキリシタン親玉の一言、て形で、示唆してるようにもとれる文章が出てくる。
だって、声高に語っちゃったらその瞬間それが大きな物語になっちゃうんだもん。


少なくとも小説に限っていえば、モテ系はどうも落ち着いて読めない、非モテ系風太郎の含羞に萌え、という話なのかこれは。オチなし。

※追記:お隣日記でちょうど風太郎と隆並べてコメントされてる方発見。なにげにトラバ打たせていただきいした。