『アルドノア・ゼロ』を見るるした。
仕事忙しいんですが、Amazonプライムで見れたんでつい…
CM抜き、主題歌エンディング飛ばすだと1話20分くらい? さくさく見れるのがあかんのや…
ロボットアニメ(ギミックたっぷりスパロボ的な敵ロボが序盤はほぼ毎話登場、ガンダム的な面もありで盛りだくさん)なんだけど、虚淵玄原案(1〜3話まで脚本も)ということで、まどマギとも共通する枠組みがあったりでした。
2年近くの空白期間の間の膠着っぷり(地球側がどうやって案外善戦できてたのか)とか、アセイラムの母やレムリアの生い立ちやら、ザーツバルムがなんでそこまでスレインを信頼するようになってたのかとか、火星騎士内の派閥やら騎士間の格(クルーテオは皇帝派筆頭みたいな感じなんだよね…?)やら、そもそもなんで火星も地球も人間型ロボ発達しとるんやとか、もうちょい説明欲しかったなと思うところもありましたが、面白かったです。説明足りんところは小説版で補完されてるのかしら。
ロボット戦闘については云々できるほど知らないのだけど、劇場で見たらコレ2Dでも酔うよな的な勢いがあり、微妙な表情の描きわけとかでキャラが演技してる感あった。
アルドノアのタイトル下には、「LET JUSTICE BE DONE, THOUGH THE HEAVENS FALL.」とか入ってるし、まどマギと同じく、正義をめぐる話なのかなと。
まどマギと共通して
・公的な正義:まどか/アセイラム(公のために私を捨てる)
※クラインカイン、マズゥールカ
・私的な正義?:ほむら/スレイン(私のために公を歪め[ようとす]る)
※ザーツバルムはこっちに近いんで、スレインを信頼するようになったのは、まあわからんでもないですが
という枠組があり、私的な正義?枠は、公的な正義枠のためを思って色々無茶をやるんだけれど、公的な正義にとって私的な正義は、あくまで大事な人達の一人に過ぎず、その非対称性と公的な正義枠の「正しさ」故にそれが無に帰すという流れというかなんというか。
私的な正義というのは微妙な表現なんだけど、ほむら/スレインはまどか/アセイラムと一緒にいたいってのもあるけど、とにかく助けたい、幸せでいてほしいって衝動から動くんで、利他的な部分も含まれているので、単なる執着や我欲とちょっと違うかなと。
「叛逆の物語」だって、まどかは本当は人間の世界を離れたくなんかなかったけど、魔法少女を救済するために選択したんだって、ほむらが知ったからこそのあの展開だったわけで。単にまどかと一緒にいたいという欲からの話ではない(まどかへの執着はめちゃくちゃ大きいけど)かなと思います。
まどかは神になるし、アセイラムも、妹のレムリアから、お前結局誰が好きなんや言われて、「ヴァースの民のことを思うことしか教えられていない」的なことを答えて、レムリアから「かわいそうな人」言われたりしてるし。
ただし、アセイラムの正義はヴァース帝国の正義をはみだした無駄に全人類的なもので、それをなにがなんでも叶えようとするスレインもいたばっかりに、15年の休戦がワヤ、地球も周辺もしっちゃかめっちゃかになるという…
ただし、まどマギと違ってアルドノアには界塚伊奈帆というバリバリに補正がかかった主人公がおり、まどマギが基本的に、公的な正義のために身を捨てるまどかと、まどかに執着するほむらの2者で回っていたのと違う構図になってます。
伊奈帆はなんなんだろ、戦後、アセイラムと気持ちが通じ合った(自分は失神してたけど)瞬間の映像を記録しているはずのアナリティカルエンジンを外してることから、「(愛を濁らせてしまう)執着を捨てられる人」枠なのかな。
感情の起伏をあまり出さない伊奈帆にしたって、アセイラムのことがYouは『嵐が丘』のヒースクリフかっつー勢いで好きなわけで、いくら理が勝った性格とはいえ、外さずにいれば繰り返し見ちゃう、繰り返し見ていれば闇堕ちして大暴れとかやってしまいそうやしね…
アセイラムとしては、帝国を騎士達が納得しやすい形で継承しないと和平が結べない、そのためにはどれだけ好きでも伊奈帆とは一緒になれない。伊奈帆もそれを呑んで2人で「美しい思い出」にしたという感じでしょうか。
夫として接していれば、クランカインもアセイラムになんかあったんやろなくらいは察する瞬間はあるだろうけれど、それはそれで呑めそうな人ではあります。スレインは絶対呑まないけどね…
あともう一つ、まどマギと共通する点として、「懲罰としての生」というモチーフがあるのかなと。
ほむらは時間跳躍能力を選んだばっかりに、何度失敗しても何度でもやり直せてしまう、やり直す度に、まどか→自分と、自分→まどかのギャップが大きくなってわかりあえなくなってしまうという、時間ループ物は色々あれど、かなり強烈な地獄ループに陥ってしまいますが、スレインもなー…なんだかなー……なまんだぶなまんだぶ。