20世紀なねとわく自己vs.21世紀なねとわく自己
最近、はてーなとか諸々、比較的ギーク向け扱いなねとわくサービスをちらほら見たちゅー美人マイミク様に、なんか色々ご質問いただいたのですよ。
・なんかしらんけど語ったつもりになってるくさい雰囲気...ナニアレ?
・面白い指摘出せてるのに、それがちょこちょことしたやりとりで終わっちゃう。それでええの?
んで、ねとわく的自己のあり方について情報社会論関連でええ本ねえの?と聞かれて、うーん...そのものずばっとやってる本は見てない...かなぁ...?ということで結局
- 作者: 速水健朗
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2008/02/16
- メディア: 新書
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をオススメした次第。
個人的には、ねとわくだけで考えるとなにかと技術決定論になりがちなんで、「いんたねっとを受け入れてしまった社会」て、ちょっと引いた視点から見るとっから入った方がええかのうという考えもあり、頭いい人なんで広い話をいれといてもらった方が後々おもろいこと見つけてくれっかもという算段もありで。
それにしてもつらつら考えるに、20世紀末のねとわくで拡張された自己論(典型的にはタークル)て、一つだったものかガスガス多面化、多重化...というイメージだったのだけれど、今世紀突入してはや8年。色々色々ありましたが、もうそういうモデルじゃおいつかないというかなんというか。
個人的な、なんも実体的な検討をいれてない印象でいえば「あちこちに散らばった、つながったりつながらなかったりする痕跡のねとわくが自己」、みたいな。