仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

遠藤薫『間メディア社会と<世論形成>』+電通ほにゃららチーム『クロスイッチ』+湯川『次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの』

間メディア社会と“世論”形成―TV・ネット・劇場社会

間メディア社会と“世論”形成―TV・ネット・劇場社会


楽しく読み読み中。
なんだかんだで、今生きている研究者の中では遠藤先生に一番影響受けとるんかもしれんと思う今日この頃。あとはドロシー・スミスだけんど。
最初に遠藤先生見たのはもう10年くらい前の日本社会学会だったかなー。なんかネット周りのシンポかなにかで「時代はバーチャルとかありえないのはVirtualといえば『事実上の』という意味である以上確定的に明らか」(勝手にブロンティスト化……)て力説されてたうろ覚え。

「情報」というものは、周囲の情報と関係し合い、相互作用しあいながら、大きな塊へと膨張して行く。そのような不定形のものである情報は、アメーバのように、あらゆる境界をやすやすと越え、あらゆるメディアに乗って、拡散し、また塊となる。その意味で、たとえば「ネットは新聞を殺すのか」といった言辞は、問題の建て方から誤っている。既存メディアとネットメディアの二者択一はありえない。ネットと既存メディアは、意図するしないにかかわらず、相互に分ちがたくリンクし合いつつ、複合的なメディア環境を形作っている。
そして、そのような複合メディア環境において、メディアとメディアの相互作用がいかになされ、また変容しつつあるのかを問うのが、「間メディア性」の概念である。(pp.5)

※「間メディア性」概念はクリステヴァだっけ?「間テクスト性」参照のことあるヨ。
こないだ仮想世界って言うヒトとメタバースで言うヒトでコミットメントちがくない?と思いつきを書いたけれど、自分が「仮想世界」に違和感を持つのは、遠藤フレームのインパクトだにゃー。たぶん。
んで間メディア性を広告のヒトらがいじくったらどうなるかちゅうと。

クロスイッチ―電通式クロスメディアコミュニケーションのつくりかた

クロスイッチ―電通式クロスメディアコミュニケーションのつくりかた

情報があふれている現代では、人々は「情報バリア」を張り、知りたい情報、興味を持った情報にしか振り向かない。そんな彼らに「興味を抱かせ」、「誘い出す」アプローチが重要になってくる。(pp.13)

「情報バリア」の背景としては
(1)情報量が急増している
(2)消費者が能動的に情報を入手するようになっている
(3)商品が差別化しにくくなっている
(pp.16-18)
………にゅーん。

メディアミックスは、ターゲットにいかに効率的にメッセージを届けるかというメディア配分を重視している。広さの獲得のために有効な方法である。
一方クロスメディアは、コアアイデアを中心に、ターゲットを効果的に動かす為のシナリオ(導線)づくりをポイントとしている。ブランドに対して能動的に前のめりに動いてもらわなければいけないときに、クロスメディアコミュニケーションが必要となってくるのだ。(pp.48)

ふと思ったのだけれど、フーコーHIVくらわずに(あるいは飼いならしに成功して)生きていれば今年で82歳。
CGMちゃーなんちゃらで、blogやらRSSやらSBやらはてブトルネードやらなにやら、ねとわく時代の生のテクノロジー編集しながら情報喰い漁った痕跡が言説にうねりうねりと捩れてるわ、その捩れのいかんともしがたく可視化されまくりんぐ性がまた新たなほにゃららのドライブになってく一方、空気読み合い沈黙の螺旋というかタコツボ化がすさまじすぎて、もうどうしていいのか皆目見当がつかん世の中見たらなんて言ったんだろうなあ…
もうちょっと長く生きるべきだったと本当に、切実に思いますです。イタコ能力あるヒトはフーコー降ろして、SNSフェイスブック系にRSSリーダーにマイクロブログにアマゾンにブログに3Dアバターサービス登録させるべき。案外モバゲにどハマりしたらどうしよう……あ、だめ、なんかデコデコしく「ミャハ☆」とかやってるフーコーの絵が浮かんできた〜…

=追記=
とかぐだぐだ思いめぐらしてすやくぽした翌朝。

「ネットが新聞を殺す」図式な湯川さんの新著告知。

しかし取材を終えて確信に至ったのは、「広く告知する」を意味する20世紀型の広告はいずれ消滅するということだった。
企業から消費者に発するメッセージは、細かなターゲット層向けにいくつも用意され、受け手にとってよりパーソナライズされたものに変化していく。それは広告というより販売促進に近いコミュニケーションになり、クリエイティブよりテクノロジーが重要になるということだ。
そして企業の業績は、消費者とのコミュニケーションをうまくできるかどうかで左右されるようになる。企業は、広告、広報、マーケティング、カスタマーサポートといった部署間の垣根を払い、企業全体としてコミュニケーション戦略に取り組んでいかなければならなくなる。そしてその戦略の中核になるのは、自社サイトである、ということだった。

ほわー。
広告広報マーケティングサポセン一元でやった方が早くね?というのは激しく同意なんですが、モノを見てみないとどうにも。要するにテレビ新聞雑誌死亡話だったらガッカリ砲だけど、どーいう話になるのやら。売る側から見たら、そりゃ生活者に自分らの商品気に入ってもらって購入してもらってついでにクチコミの一つもしてくれんかいのーちゅうのは当たり前のことじゃあるんですが、生活者の側からいえば、モノ買うのにいちいちコミュニケーションとかダルいんじゃ!ボケが!みたいな逆ギレしたくなる感もあったりなかったり。検索広告とか統計いろいろあるけれど、手打ちで検索語入れるのとか自分としてはかなりありえないんですけど...
消費社会論みたいな話した時のレスポンスペーパーで、「自分がこだわるものはこだわって調べて探してゲトするけど、どーでもいいものはてきとーに『これくらいじゃね?』でいっちゃうッス」みたいな話を書いてた子がいて、ああそりゃそうやなーと思ったのですが、世の中「とりあえずどーでもいいけどなんとなく」で済ませる部分て存外多いわけで、そのへんの処理はマスメディア型の広告なり情報がラクなのよね〜みたいな部分もあるわけですわ。いちいち全部検索すんのもダリいし、セグメント化された情報送りつけられても現時点の技術ではほぼ確実にワタシの欲しい情報ではないし、もっと精度上がれば上がったでタコツボオンラインの悪寒がナー。
モノを見てる時ちゅうのは、「焦点」あててるところと、「周辺視野」でぼえーとフォローしてる部分とがあるぽいと、超大ざっぱな理解をしているのですが、ねとわくは「焦点」の部分を色々いじくるのにはどのメディアよりも向いているけれど、「周辺視野」部分はどうなんだろうなあ...
なにはともあれTODO:店頭確認買いリストに入れる。