仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

チョコレートは鍋で煮るものじゃない。あるいはコミュニケーション資本の蓄積がないとパッシングひとつまともにできないことについて。

コミュニケーション資本て、てきとーに使ってますが、コミュニケーションにおけるスキル(外見、表情、リズム合わせ、文脈を読みつなげる能力、ネタ拾いあえる蓄積などなど)と、コミュニケーションにおいて拾ってきたノウハウの蓄積、小ネタやら他人の発想の仕方とかなにやら要するに世界をつなぎあわせるためにうっかり開いちゃったスキマに詰め込む雑多な知識ちゅーか要するにいわゆる日常知ちゅか暗黙知ちゅかフォークウェイズみたいなものの集成くらいの路線でひとつ。
※他の用例:コイズミの新しい衣裳(NULPTYX:石田英敬研究室)

で。
細部の詰めがアレなばっかりにそこで書かれている諸々およびやりとりが脳内なことが露呈しちゃっているエントリというのを某所で拝見しまして、ガーフィンケルの通称「アグネス論文」を10年ぶりくらいに思い出したのでメモ。
なにしろ最後に読み返したのは前世紀確定なので相当うるおぼえですが、高校までは一応男子として社会に合わせていた性同一性障害者である…と主張するアグネス(仮名)という人がおりまして、んでアグネスは本当の性同一性障害者かどうか、外科手術による「本来の性」の回復をやるべきかどうかを判定する面接に参加したガーフィンケルが、実際には「女の身体をもたない」アグネスが、どうやって女性として世間の荒波をごにょごにょしたのかを分析して、パッシング(passing/「やり過ごし」くらいの感じでいいのかも)ちゅー概念を提案したりしてたよーな気がします。ヒトは実際には経験したことないことでも、周囲のヒトの言動やら見聞きしたことやらをつなぎ合わせて、その場その場で色々でっちあげて、その場を流していくちゅーところがあるわけなんですの。
昔のねとわく友達で、完全に女だと信じていたねかーまがいるんですが、ヤツは言動は自分の妹を完全にシミュレートして、んで女性トークならではの特定の知識が必要な時は、ムリしてその場で検索かけたりせずに相づちで話を流して破綻を回避して、後で気になればついでに調べて次回に生かしていたらしい。ねとわくコミュニケーションで稀によく年齢や性別を勘違いしがちなめも子ですが、それにしてもヤツは神クラスいってたと思います。
んが。これが先の例とかだと、パッシングに必要なリソースが足りない。他の女性にとって「あまりにも当たり前な常識」であること、がぽこんと欠落しているので、「ありえない」ことを書いてしまうし、自分がどこで「間違えた」のか理解することができない。対して神ねかーまな友人は、実際には男性ですから女性同士コミュニケーションで必要な前提そのものは共有できてない部分があっても、ココは無理に突っ込んだらダメだということが日頃培われている諸々のスキルによってわかるわけです。非コミュ女よりコミュ能力の高い男の方が、コミュニケーション資本の積み上げっぷりにおいてより正確に「女らしく」振る舞うことができる、と。
リアルのコミュニケーションとかだと、突っ込まれればあーとかうーとか、いやなんかわかんないけど直火でもちゃんと出来たヨーとか押し切ったりするうちに、ここはごにょった方がいいのかという判断をしてもらえる可能性もあり、そこでちゃんと省みれば「なんかおかしかった自分」に気づいて学習できる可能性もあるのですが、非同期ねとわくコミュニケーションはなぁ...うん...そういう修正が効かないのがなぁ...
この状況、かなり痛ましい気もそれなりにはするのですが、うーん.......色々厳しいですのー。
このあたり、ねとわくコミュニケーションには、りあーるコミュニケーションスキルが低くても(ヒトによるけど)うまいこと入れて、そこでなにやらを補完できる可能性が高いという面もあるのですが、そのへんの間違い探しがしやすすぎる性はもの凄く危険な気もしますです。ボロボロとすぐバレる嘘をつくヒト相手に関与し続けようとするヒトってねえ、あんまねえ、アレですから。

というわけで、もしあなたがなんらかの理由で「カレに作って上げた手料理紹介☆」みたいなエントリをでっちあげなきゃならなくなった場合は、紹介したいレシピは数バージョンぐぐって、できれば実際に作ってみた方がいいかもデスよ...という、まったく役に立たない〆でオワリ。