仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

『萌える男』

萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)


電波男読んでないけど、ブックオフでサルベージしてきたです。て、売り上げ&印税はいりませんね、すみませんすみません。
最初の方を読みながら帰って、必死な独女ってブドア独女通信かなー、ていうか、ツクバ系男子がどーちゃらとか、実はブサとつきあうと良いとか言う記事も微妙な語り口であげてたし、そのまんまやなーという半笑い。

以下読みつつメモ。

p.8 純愛ブームについての記述。韓流は50代女性、「せかちゅー」はあれ高校生?大学生? 恋愛資本主義の主戦場である四捨五入して30歳とはちゃう話じゃないかと。アラサーで純愛ブームと言えるようなコンテンツってなんかあったっけ。
p.40 「女性の場合は子供が産めるうちに結婚しなければならないという縛りがあり」.........え(笑)
p.62 現実世界では美男美女でなければ恋愛できない
.......意味がわからなくなってきた。だんだんこのへん飛ばし読みに。
p.67 『東京ラブストーリー』の開幕「セックスしよう」発言の自立した女性がヒロインとして〜というくだりがまた出てくる(最初出てきたとこ忘れた)。うるおぼえなんだけど、確か一歩間違えればべたべたに依存しちゃいそーで、そんな自分が嫌で周りに無茶するイタい女じゃなかったっけ? 少なくとも「自立」という表現には強い違和感が。柴門作品はなんつーかワセジョ的というか(本人は茶水出だったと思うけど)、恋愛不可能性の前で思い惑って自己を煩う女キャラが大変多い気持つうかそれだけつうか。べたべたな恋愛したければしたいって言えばいいじゃない。ティアモー!(みつを)。
p.79-80 消費を必要としない精神的な恋愛=「純愛」.....ここひっかかるなー。消費に組み込まれてる恋愛/組み込まれていない恋愛の二項対立はいいとして、後者がイコール「精神的な恋愛」であり、イコール「純愛」ちゅーのはどうも、ロハースであるとか、いわゆる一つの「心の豊かさ」がうさんくさい程度にはなにやらきなくさい。モノの消費を伴わなくても、虐待にほかならないよーな恋愛関係てありありなわけだし。
p.94-98 『カムイ伝』(70年安保不発で連載中断)『ガンダム』(80年代?):個はどんなに優れていてもシステムの前ではなんにもできないくぽ;;→「逆襲のシャア」終盤でレゾンデートルとしての「恋愛」が見いだされる。/『エヴァ』(90年代なかば):恋愛=レゾンデートル獲得失敗。
※エヴァについて昔から不思議なんだけど、綾波にしても(びっくりするほどファリック・メールな、子を食べる母。アブジェな表現風味)、アスカにしても(映画の〆だっけ?「キモチワルイ」で完膚なきまでに全否定。自分が男でアレ言われたら、首を吊る手間をかけるまでもなくイゾルデのように昇天してしまいそうです)、界は違えど「一番見たくないモノ」を思いっきり表象してるキャラクターの「萌えグッズ」がなにごともなかったかのように消費されてるのがにんとも。生乾きのカサブタ剥がし続けて、傷を保ち続ける行為なのか、そんなことよりハァハァなのか。エヴァをトラウマとして引き受けたオタと、萌えコンテンツとしてかぶりついてしまったオタつーものを想定すべきところ? 両者の違いはナニ?
p100-103 『ONE』:泣きゲー。萌えキャラと恋愛して対幻想形成→現実に帰還という構図。純愛。が、しかし、あまりによくできすぎて、ストーリーと逆行する形で、プレイヤーの一部が3Dなくてもいいじゃないの境地を発見してしまう。
※このへんのPCゲー文化はよーしらんのですが、しらんだけに面白い。

=読了したばっかで全然整理されてない印象論=
中盤の頭はほんとにコレどうしようかと思いましたが、おいしくいただけました。岸田秀とかフロイトベースだったのがなんか新鮮だった。隆明も久々に見たような気がする。
恋愛資本主義」幻想(※自分としては、そっち系のマスコミの煽りがそれなりに大量に存在してるのは知っているけれど、部分的にでもそういうルールを取り込んで生きてる人って直には知らないので。*1)によって男子がそれに乗っかれるモテ(リア充)、市場から降りたオタ(=非モテではない)に2極化してるつー前提はそりゃそうなんじゃろと諾うほかはないんだけど....
神なき社会における個の安定の最後のセーフティネットが恋愛!だけど恋愛資本主義によって恋愛を成就できる層できない層に2極化!そしてギスギス格付けし合いの闘技場からの離脱兼、個の安定させあいこ&癒しあいの情緒が纏綿する(本来の)「恋愛/家族」理念の追求としてオタ文化と萌え!つーロジックもわからんこともないんだけど.........にゅーん、なんか恋愛が一気呵成に諸々救済する装置として過剰に意味づけられてて怖いお......というあたりへのフォローはp.178へんからあるのだけれど、むー。このへんは『もてない男』もそうだったけれど、もうちょっとこう淡々と、小津映画くらいの色彩でお願いしますみたいな。
なんつーか、美男美女じゃないと恋愛できないお;;というさりげに埋め込まれてる小前提は相当わけがわからないんですがなんなのコレ? ほんとにここはわけわかんない......華麗に背景にバラの花とかキラキラエフェクト舞わさなくても、恋愛がとどのつまり、存在肯定の相互保証と慈しみあいであるならば、下流であろうがロースペックであろうがふつーにアクセスシブルだと思うんだけど......キラキラ恋愛感(理想恋愛というか)と、またーりと折り重なってすやくぽしてる砂ねずみのように慈しみあい恋愛(理念恋愛というか)がぐっちゃりしてる気がするです。
このへん、個的経験とかでだいぶ左右される話じゃあるんで、恋愛資本主義圏域のモテマニュアル雑誌やらどらーま他もろもろコンテンツの分析とかで補完してもらえっといいのかなあって、それは赤坂真理いっとくべきか。
以前、萌えとはナニ?と問われて、「あらかじめ成就することを回避してる性欲。もわもわっとしてる風味〜」みたいなことをその場でてきとーに口走って、それなりに納得していただいた記憶もあるのですが、「萌えない男」の性欲のあり方は基本的にベタなプレイボーイ型な説明(こんなマッチョって、早稲田だとそれこそスーフリにしかいなかったんじゃないかという気もする)、「萌える男」の方はほとんど記述ナシで、「萌え」によってどう性欲が変換されてるのかそこがもちょい欲しかった。鬼畜ルート云々がそれなのかしら。謎。そのへんは脳内鬼畜ルートをなんかほにょほにょもわもわと沸かしつつ、さまざまな諸々を華麗に回避しつつも、はっと我に返って失意体前屈したり?

と、いろいろわけのわからないことをわけのわからないまま口走りつつ惑星お風呂に。

あと、言及されてた本。統計いろいろぽい。

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

*1:あ、でも昔、他大の友達が「所詮ユーミン聞いて一晩泣けば終わるようなあっさい恋愛しかしねえんだよなUchino大学の人間は」と、今までの人生でもっとも強烈なdisりを口にしてた記憶。ひょっとしたら6次のつながり内にそんな世界もあったのかもしれぬ。いや、どういう文脈でそういうこと言ってたのか知らないんですけどね。