仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

JR新宿駅の東口を出たら、そこはアルタ前です。

※酔っ払いつつ更新しております。

Twitterのふんいきについて - ChaboのFF11日記+
デキるスーパー赤魔様のエントリ。

[募集]Twitterの雰囲気を文章にするだけの簡単なお仕事です。 - おひとりさまなめんな!
なんかこげな企画があったらしい。

で、おもろいのーとぽちぽち参照させていただいたのですが、特定の雰囲気を持つ「場所」として描写してらっさるエントリが目立つ気持ち。
Twitterを語るだけの簡単な仕事があると聞いて飛んできました! - べにぢょのらぶこーる
メディア体験としてはラジオに近い、という指摘なんだけれど、心象風景としては海みたいな。
逆にスーパー赤魔様のエントリはそういう要素がまったく入ってないのが面白い。

「場所」で言っていいならアレですよ。まだ噴水があった頃の新宿歌舞伎町コマ劇前。
夏とかもううっじゃうっじゃ人がいて、アルタ脇へんの果物屋で売ってる、割り箸に刺したパイナポーとかを横ぐわえにしながらぱやぽやと歩いていたのですが、合コンリーマン&OLのグループとかよーわからん若すぎる女子共とか、それに話しかけてるちゃらいのとか、やたら目つきの鋭いセカンドバッグ抱えて立ってる単騎のおさーん(彼らはなんだったんですかね。明らかにコマ劇前の1ジャンルを形成してたけど。謎。)やら、学生(歌舞伎町は早稲田と明治がかぶるので、早明戦夜といえばそのへんで乱闘してたりするのがお約束)とかが、なんとなーく漂ってたりそのへんでベタ座りしてたり足早に通過してたりぐっちゃんぐっちゃんなんですが。

なんというか、視線が交錯するんですわ。

例えば、同じように混雑してても、通勤ラッシュとかなら普通は儀礼的無関心発生しまくりんぐだと思うんですが(でないと、個体間距離ぎゅうぎゅうに耐えられない)、ゆるい関心を持って風景としてぼーっと見てるのは全然アリ。「風景」の一部として見られるのもアリ。時に視線は絡むし、絡んだとっから声かけられる、かける、といったアクションへの敷居も低い。
さすがにセカンドバッグおさーんとかやばげなのに眼ぇ合わすちゅーことはやらんですが。
もう属性がありえないくらいバッラバラでいかんともしがたく赤の他人なのだけれど、触れればぱりんぬするくらいのごくごく淡いレイヤーで「つながってる」。

ただまあ、コマ劇前って、あくまで歌舞伎町の入り口なり表面でしかなかった、とは思うのです。東口出て三丁目越えて靖国通り渡ってまーっすぐ歌舞伎町入っていくとコマ劇前に至るんですが、そこでいったん人がよどんで、そっからまた拡散していくみたいな。
歌舞伎町の女王」まで昭和テイストは残ってなかったものの、ホストクラブの看板はなんか1970年代風な分け目ぴっちり写真がずらずらと並んでいたり、そのへんを越えてずんずんと奥へいけば、部屋に用意されてるパンダ柄のマッチがなぜかUchino大学のごく一部でcooolなアイテムとして絶賛されてた迎賓荘があったり、夜中の靖国通りの薄暗いかどっこに地味なOL風スーツを着てる女装子集団がひっそりと立ち話をしてたり、その他もろもろのわっけわからん店みたいなところ……から先は、私もよーしらんのですがね。でもまだまだもっと「奥」がある気配ちゅうのは一応。
ひょっとしたら、コマ劇前から直接深部へ至る道もあったのかもしれないけれど、それは一応観光客レベルの学生には隠されていた、ように思います。

いずれにせよ、ああいう間合いの空間て、東京でも他の街にはないもので(渋谷池袋銀座六本木云々はいずれも人がよどめる「広場」がない。渋谷センター街とかちょと違うし。あと、歌舞伎町が「その場に居合わせるヒト」の属性バリエーションが幅広いのも特徴)、なんで歌舞伎町がああいう動線設計になったのか、色々歴史的な経緯があると思うんですが、メタバースなりアバターサービスなりそちらのことをされてる方にも参考になるかもですね。人が歩をゆるめやすいデザイン、たまりやすいデザイン、逆に散らすデザインてのが大事だと思うので。
今はたまに映画行くくらいなんで、夜中はどーだかわかりませんが、石原(笑)のクリーン作戦のせいなのか、かなり人減ってる感はあるけれど。

それにしても、なぜ人はねとわくの束を、スクリーン上に表象された「窓」を「空間」としてイメージしてしまうのか、別にそれは間違ってるとかじゃなくて、なぜ「自然に」そう想像してしまうのか、10年くらいひっかかってるんだけれど、いまだ問いが絞り切れませぬ。角度が正しくないんかのー。

=07/12/17追記=
これからTwitterを始めるあなたにTwitterの雰囲気を紹介します(後編): 304 Not Modified
質問主さんによるまとめ。「楽屋裏」説大盛り。