仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

MMO...それは最後のフロンティア...だったらスゲーいやなんですけどみたいな。

2006-10-24 - 24-Hour Survival

格差まみれ(資産ハビトゥスコミュニケーション能力容姿他)のリアルとは違う、ピュアに公平?対等?なもう一つのセカイを求める、ちゅうのはたぶんえーっと、ルソーくらいから(それ以前もどっかありげだけどシラネ。宗教わからんし)近代民主主義に理想理念として埋め込まれてはおり、間にまあ色々ありましたが比較的直近では公共圏議論を経由して、それがネットというメディアによって「ひょっとしたらイケるかも...」と思ってしまったのが1990年代のラインゴールドやらネチズン系議論ではあり、そこにハビタットなどの「実験」もあった...というわけで、MMOだけの話じゃなくて、かなり広く深いスパンの話につながっていくのだと思うのですが、それにしてもMMOの場合、他のサービスよりもはるかにこういう問題軸が出てきやすい。

それはやっぱり、ゲーム文化におけるクレイジーな人ランキングをやるなら向こう7世紀くらいオールタイムベスト3入りが当確のギャリ公によってリリースされたUOに我々MMOプレイヤーがどうしようもなく呪われているということでもあるのだけれど、まあ2Dにせよ2.5Dにせよ3Dにせよ、ファンタジーだったりSFだったり武侠だったりガンダムだったりそれなりにリアルぽかったりだったりもしつつ、いちおー「違う世界」がビジュアルに表象されていて、ゲームパッドだったりマウスだったり、身体を動かしてアバターを方向づけるデバイス通じて「その中を動き回る」という体験が提供されているわけで。脳内ヴァーチャル・リアリティ「としても」、お手軽に体験できてしまうと。ついでに、タイトルによって方向性は違うけれど、「世界観」が用意されてたり、「独自通貨」*1を持っていたりで「リアルとは違いますヨ」みたいなタグづけがなされていると。

で、なにが言いたかったというと、ワールド・シミュレーター理念てなんつーかコミュニティを胚胎する基盤であるところの社会性のレイヤーと、そこで体験されるリアリティのレイヤーとなんか混ざってるかなみたいな。

社会性の方は非常にわかりやすいんだけれど、しかしなぜ人は別のリアリティを夢想しちゃうのか、80年代スタートレックTNGシリーズの「ホロデッキ」(...は若干文脈ズレるけど。あれ限定的なインスタンスだし*2)〜90年代のディック原作ハリウッド映画大驀進とサイバーパンク〜『マトリックス』3部作(どうでもいいけどその後、ポピュラーレベルでのこーいうコンテンツって途切れているような気がする。日本のラノベやら諸々はのぞくとして)。

*1:SLは結局全然ヨクわかってないのですが(空飛べちゃうのかよ...かなりショック。ふつーの3DアバターMOD付きサービスだと思ってた)、独自通貨持っているという時点で、世界観とかまるでなくても、現実ドルと交換可能であってもやっぱり「別ノ世界」として主張するもんだと認定。つかタイトルそのものにそのニュアンス入ってますが

*2:リアルにマスィーンとはいえ身体を持つデータはアンドロイドであるにもかかわらず市民権を認められる。が、ホロデッキ内で生成されたモリアーティ教授は物理的には人間と異ならない身体をもっているのに結局のところ認められない...