仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

Voce 2006年8月号で「可愛さ」分析+批判?記事

えー、タイトルは「可愛越え(かわいごえ) Beyond the Kawaii」(p.185〜)みたいな。ライターは菊地陽子という方で、アマゾンでは単著wと推定できる書籍は発掘できず。
四方田犬彦...これインタビュー?まあとにかく引用しつつ、「可愛さ」のあやうさを指摘して篠原涼子とかビヨンセとか「可愛いだけでない品格&迫力ある女性」としてレビュー、んで70年代〜00年代のカワイイの系譜まとめ(見開きくらいだけど)、あと個別「可愛い」に+して迫力なりなんなりを持ってるアイテム紹介。

「可愛いは、現実からの隔絶を生む」
可愛いは万能ではない。可愛いの浦には、儚さや、弱さや、未熟さ、攻撃されやすさ、ちょっとした醜さ、気持ち悪さなど、さまざまに不完全な要素が、たくさん隠れている。
が、現在は、「可愛ければいいじゃん」という考え方が蔓延している。可愛いがもたらす多幸感が、すべての不完全なものを覆い尽くしているのだ。「可愛い」は、私たちの現実感覚を麻痺させる。「可愛い」と言われるとこは幸せなことだけれども、それだけではすまされなくなるときが、いつか必ずやってくる。(pp.186)

例えば、年取ってCan Camの提案するスタイルではやっていけなくなってしまったことに気付く瞬間とかとかとか。
エビちゃんはもう26歳なんですけど...あのスタイルがつらくなってしまう瞬間を迎えたらどうするんだろう。それこそその前に結婚引退なのか? もえちゃん様は既におねーさんカワイイにシフトしてるしよゆーですが。つうかもえちゃん様にNIKITAのモデルやってほ(ry

紹介されてる四方田の本読んでないのですが、かなり影響されてるのか女性誌とは思えない論調。昔のCREA(バブル期の。)がニューアカとわりとつるんでいたことを懐かしく思い出したり。

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)

で、カワイイ40年史は

  1. ルンルン'70年代(アグネス・チャンとか。「守って」モードの上目遣い)
  2. ブリブリ'80年代(なにはともあれ松田聖子とか。男目線寄り世渡りとしてのカワイイ)
  3. ラブラブ'90年代(なぜラブラブ...とりあえず安室。バブル崩壊後の不況の中、金かけずに自分好みでいろいろするコギャル文化。男目線意識は弱い。)
  4. アゲアゲ'00年代(エビちゃんとかエビちゃんとかエビちゃんとか。おたく用「カワイイ」→萌え、嫁入り前娘用「カワイイ」→エビちゃん、主婦カワイイ(「カワイイ」の高年齢化)→黒木瞳、など、「カワイイ」文化の分散化と断絶。...「カワイイ」の高年齢化は激しく同意としても、この文脈に「萌え」を混ぜるのはどーなんだろう。他の時期の分析はほぼ女性視点強めでやってるし、そこにオタ性欲問題混ざるとびみょんぬ。カワイイの受け止め方には性差からんでくるしなー。)

10年区切りでいくと、80年代末〜90年代初頭の、「反カワイイ」といえないこともないアグレッシブなバブル期が見事宙ぶらりんになってムズくなるという気もしつつ(本誌ではバブル期前後についての記述ははいってますが。見開きに収めようというのが無理なんでしゃーない感もありつつ)まーわかりやすいといえばわかりやすいんですが、松田聖子の評価はどうなのかなぁ。
あれは最初っから愛憎含めて女性の支持が強かったというか、プロブレマティックであったというか、今じゃほとんど女性のみ支持でやってるというか。そのへんについてはカルスタやらフェミやらで色々書かれているような気がしますが、マドンナと同じくらい聖子は魔境のような気がします。一時期聖子がマドンナ意識してたのは完全勘違いでしたが。

なんにしても、パリコレとかそのへんではマニッシュごーごーぽいし、それがどう日本のリアルクローズに降りて来るかはわかりませんが、こないだのJJと言い、ちょと潮目が変わるんじゃない感はそこはかとなく感じてみたり。