仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

行けなかったRGN#2に関するエント蝓

くあ、チャボリンさん来てたのか...orzorzorz
blog.8-p.info: RGN #02
RGN第2回 お疲れ様でした - Try to Star -星に挑め!
RGN#2「ゲームの定義を再検証する」 - ゲーム三昧
RGN#2 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
GLOCOM-RGNゲーム研究会レポートと感想 - ChaboのFF11日記+
2006-06-03 - ハー○イ○ニー観察日記 なんかてきとうに

で、個人的には「メディア」と「物語(ナラティブ)」と「遊び」の違い、てのは最低限度確認しとくべきだろうと思う。
外から見て同じ行動が「遊び」だったり「物語」だったり「メディア」だったりする、それは主観の捉え方による。
だから、その違いを定義しておけば、外から見て「ゲーム」でありながら「物語」であるとか、主観的には「遊び」だが外から見て「映画上映(メディア媒体)」に見えるとか、そーゆーふうな言い方が出来る。
例えばミニマムノミックにおける「ルールの提案」。ここでの「ルール」は、実は「メッセージ」と捉えられないか、みたいなこと。つーかミニマムノミックていうお題自体がそもそも言語ゲーム研究あたりの思考実験なんじゃないか。
あるいは、『ヒカルの碁』『哭きの竜』『月下の棋士』あたりで対局を通してコミュニケーションして「あんた、背中が煤けてる」つって相手を見抜いてみたりするとき、囲碁や麻雀や将棋は「遊び」としてじゃなく「メディア」として機能している、とか。
そういうふうに定義ごとに機能を切り分けていけば、「ゲームはあれもできる、これもできる」みたいな言い方から離れることが出来て、少しは見通しが良くなるはず。

関連して、個人的にid:ityouさんと話してて、まあ、当り前のように「コンピューターゲームのデザインを考える際は、やっぱりボードゲームから気付かされるのが多い」ていう話が出て、これ自体は多数派の意見だと思うんだけど、これを上のほうと重ね合わせて、多人数でプレイするボードゲームは、

「ルールで対戦相手をコントロールする」
=「ルールという発話を相手に投げかけて、こちらの予想範囲内の回答をもらうのを繰り返す」
=「ルールの設定とは、少ない言葉で効率よく行う、会話のキャッチボールである」
=「ゲームデザイナーとプレイヤーとの意思の疎通の見通しの良さを考える上で、コンピューターゲームからデザインを考えるより、ボードの多人数ゲームからデザインのアイディアを得るほうが距離が近い」
という話になったりしないかなあ、と妄想した。

ゲームの静的な定義はきびしー、動的な定義が必要ちゅうと...自分の知ってる範囲ではエスノメソドロジーがもっとも向いてそうですが、エスノのなんつーかグルグル自己言及性を回避しないと面白くないので、そこはどうしたものやら。自分はエスノはちょろっと読んだくらいなので、実際の分析手法ってどえりゃー手間かかるのは重々わかっているけれど、どういう調査設計が可能なのかよくわからない。
将棋みたいに履歴が残るかたちのゲームをして、後で感想戦形式でなんかひっぱりだすとか...?
あと、プレイヤーの「主観」に還元しちゃうと、プレイヤー間で織りなされたりなんかしたりするその「場」のロジックの動きが見えにくくなるので、やっぱゴフマンをねっこに持ってきたいかなぁ...にゅー。
人狼とか互いの「主観」に干渉しあうゲームだと面白い、かなあ。あれなら適当にカスタムして制限時間を緩くする&正確な発言時刻を取る(というか、各自の画面のキャプチャーした方がいいか)、口でその時思ってることを垂れ流し録音しながらやって、んで後の感想戦と突き合わせるというのもできるかも。ただしそれでなにか「ゲーム研究」として面白いものが出てくるかどうかは不明。対象としては、直接的な騙し愛および信頼構築ゲームなので、邪悪で面白いかもですが。つかフツーのエスノメソドロジストにむしろお勧めかも。
人狼の場合はとにかく人の名物コテとか色々いて、途中で「あ!この人アイツだ!」と気づいて戦略組み入れるとかあったりもする...