仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

ウェブにおける知の配分の経済。

404 Blog Not Found:Economy of Wisdom Distribution

どの問題にどれだけの注意力(attention)と知恵(wisdom)をつぎ込むべきかという、いわば「知恵分配の経済学」に対して、ネットは「経済的」に働いているのだろうか?確かに充分な数の目玉を集めれば、「その案件」はあっという魔に片付く。しかしそうでない案件はどうなのだろう。「つまらない」が、「片付けなければならない」問題というのは、そこに確かにあるのだ。

Googleをはじめとする、インターネット的「分配」システムは、「注目度」(attention)ベースとなっている。これはどちらかというと「すでに注目されている問題」をより重要と扱うシステムだ。「金は寂しがりや」という意見をよく耳にすれば、実は「案件」(issue)はもっと寂しがりやなのだ。

ぼへあーと拝見。沈黙の螺旋理論なんぞを思い出しつつ、で、沈黙の螺旋理論言い出した人ってドイツ人だかドイツ系なんだけれど、マスメディア研究では一応本場なアメリカでは、デフォルトで俺が俺がが強いから全然納得してもらえなかったけど日本では妙によくわかってしまう理論として受け入れられた、みたいなことをどっかで読んだか聞いたかしたような気がするけれど、どこだったっけかなぁ...茫洋。

沈黙の螺旋、の解説はこちら。
「ネットワークの臨床社会学」[4]螺旋論――小泉メルマガの落とし穴@Socius
要するに「空気を読む」能力が、言わなきゃいけないけれどもめんどくさい問題については沈黙をどんどこ生んでいくちゅうやつですね。

インターネット時代とは言え、サイバースペース上での世論形成は今ひとつ力をもたない。これはネットワークの本質的な分散性がネックになっているのだと思う。つまり、じっさいの人びとの意見や評価はいつも分散し混乱し揺らいでいるのだが、サイバースペースではそれがもろに出る。だから「ひとつの力」になりにくい。しかし、マス・メディアはちがう。今や画一性こそマス・メディアの強みである。マス・メディアは多数派意見を指定することで統合力を発揮する。人びとは賢明でシニカルな批評家としてそれを参照することで、沈黙の螺旋に取り込まれて(参加して?)しまうのである。

で、分散性でネット上の世論形成は今ひとつ、というのは一見よくわかりやすいんですが、ここのところは違和感が。この文章、01年に発表されたものなんで、まだblogとかなかった頃なんですね。2chはあったはずですが(だよね?)。
本質的には分散しているっちゃー分散しているのだけれど、トラバとか、ググルとか、おとなり日記とか、blogサーチとか、そんなもんでシンクロなうねりのようなものが出やすくなってるんじゃないかなーという気がしましたです。
あと恐らく同調圧力強めになってそげな(妄想)mixiとか。