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小4の姪に『秘密の花園』あげるついでにお手紙書いた。

秘密の花園

秘密の花園

#タイトル通りの事情で書いたメモです。タタに触れてて自動車はスルーかよとか色々あると思いますが、あんまごたごたしてもしゃーないんで的な…

かなちゃんへ。

 『秘密の花園』は、今から約100年前、バーネットという女の人が書いたお話です。
 100年前のお話なので、今とは色々違うところがあります。なので、まず、違うところを簡単に書いておきます。

・インドとイギリスの関係について

 最初、インドという国からお話が始まって、イギリスに移ります。
 かなちゃんは大きな世界地図を持っていますね。
まずイギリスと、インドと、日本がどこにあって、どれくらい大きさが違うのか確かめてみましょう。イギリスは結構北の方にあります。インドは南というかまんなかへんにありますね。イギリスは寒くて、インドはとても暑い国です。といっても、インドはとても大きい国なので、北の方は寒かったりします。日本も沖縄と北海道じゃだいぶ違うしね…
かなちゃんの地図だと、かなちゃんのいる広島とおばさんのいる東京が区別できたと思います。広島と東京の間は新幹線で4時間かかります。インドからイギリスまで、新幹線がもし通っていたら何時間かかるか、地図で測って計算してみて、わかったらおばさんに教えてください。計算の仕方がわからなかったら、ママかパパに聞いてください。
 
 このお話の頃、インドはイギリスの領土でした。なので、メアリーのパパのような軍人や役所の人、貿易をする人がイギリスからいっぱいインドに行っていました。
 でも、インドはイギリスからうんと遠いし、言葉も文化も民族も宗教も違いますね。イギリスはキリスト教だけど、インドはヒンズー教とイスラム教です。考え方も違うところがいっぱいあります。もともとインドがイギリスの領土になった最初から色々無理があったので、第二次世界大戦の後にインドは独立しました。昔はイギリスの会社がインドで安く人を雇っていろんなものを作って、自分の国やよその国で売ってお金を儲けていました。今でもそういうことはありますが、逆にタタ・グループというインドの会社がイギリスの会社を買収して、とても高い技術が必要な鉄鋼を作って世界中の会社に売ったりしています。インドはまだまだ貧しい人もいっぱいいる国ですが、英語ができる人が多いことと、数学が得意な人もたくさんいることから、今後どんどん伸びていくだろうといわれています。日本の企業もインドでいろんなものを作ったり、売ったりしています。
 詳しいことは中学校くらいから歴史の授業で習うと思います。昔どんなことがあって、どうして今の文化や政治や経済がこうなっているのかきちんと理解することは、将来どうなるのか、どうしたらいいのか考えるのに大事なことなので、しっかり勉強してください。
 あと、カレーはもともとインドのものだって知ってますか? インドは暑い国なので、暑くても美味しく食べれるように、たくさんの野菜や豆を煮込んでいろんなスパイスで味付けしたちょっととろっとしたスープ料理ができました。それをイギリスの人がとりいれたのですが、イギリスは寒いのでコクがあるどろどろしたものの方がおいしいので、小麦粉をバターでいためた「ルー」というものを入れることで、インドのとは違うカレーができました。それを、明治時代に、日本の軍人がイギリスへ勉強にいった時に食べて、一度にたくさん作りやすいし、栄養のバランスもとりやすいということで軍隊のご飯にしたらちょうどいいんじゃないかと、日本人の好みに合わせて取り入れたものです。遠いインドの料理がもっと遠いイギリスにいって、そこからまた日本に来て、みんなが大好きな料理になるって不思議ですね。

・学校について

 メアリーもコリンも、ディコンやマーサも、ほんとうだったら学校に行く年なのに、学校に行っていないようですね。メアリーは一度、コリンのパパに学校へ行くかどうか聞かれますが、おうちにいたいと言って、行かなくていいことになります。
 今の豊かな国では、子供は3歳くらいから幼稚園や保育園、6歳くらいから18歳くらいまで学校に行くのが当たりまえですが、昔はそうではなかったのです。
 メアリーやコリンのようなお金持ちのおうちの子は、まず家庭教師を雇って読み書きや算数、外国語を習い、中学生くらいから大学へ入る前くらいまでは寄宿舎のある学校に行っていました。ディコンやマーサのようなお金のないおうちの子は、学校のないところだと、おうちや教会で簡単な読み書きを習ったりしたのかな。都市部だと、今の学校のかたちに近い公立の学校もあったようです。
 でもこういう感じだと、お金持ちのおうちの子はいいけれど、お金のないおうちの子は困りますね。農家の子が農業をするにしても、肥料や農薬や、どんなものを育てればいいのかとか、化学や生物学など科学的な知識を持っていないと、おいしい野菜や果物をたくさん作ることはできません。おうちの近くに工場ができてそこで働いてみようかと思っても、基本の勉強していないと機械をちゃんと使えません。学校へ通えるおうちの子はどんどん豊かになっても、そうでないおうちの子は取り残されてしまいます。なので、19世紀から20世紀にかけて、豊かな国はだんだんに、すべての子どもが学校に通えるように法律を作って、たくさんの学校を作って子どもが通えるようにしました。子どもが学校に行けるということは、子ども一人一人が大きくなったときにできることを増やして、豊かな生活が送れるようにするという意味と、いろんなことができる人がどんどん増えると社会が豊かになるという意味で、とてもとても大事なことなのです。

・「くる病」について

 コリンのお父さんは背骨が曲がる病気にかかっていて、コリンもその病気になるんだって周りの人も思っていました。
 これは「くる病」といって、赤ちゃんの時に「ビタミンD」や「カルシウム」という栄養が足りなくて、ちゃんと骨が育たなくて曲がってしまう病気です。お父さんがくる病でも子供が必ずくる病になるとは限らないのですが、もともとコリンのお父さんの親戚に、何人かくる病の人がいて、くる病になりやすいおうちだと言われていたのかもしれません。今は、どの栄養が足りないとくる病になるのか、どういう人がなりやすいのかわかっているし、豊かな国ではあまり見られない病気になりました。
 メアリーの時代だと治せなかったのに、今の時代だと、治せるようになった病気はいっぱいあります。たとえば、おじいちゃんのお母さんは結核で亡くなったと聞いてますが(たしか…)、結核は、昔はたくさんの人が亡くなるとても怖い病気でした。でも、いまではちゃんと治せます。なぜこんな病気が起きてしまうのかを調べたり、どうしたら防げるのか、たくさんの人が真剣に取り組んできたおかげですね。
 

・おまけ

 ついでにイギリスの小説で面白いと思ったものをいくつか挙げておきます。

 ・「シャーロック・ホームズ」シリーズ(コナン・ドイル
 『秘密の花園』と同じくらいに書かれた推理小説です。図書館にいっぱいあると思うので、是非読んでみてください。子供向けに書き直したものもあります。とても変わった名探偵のシャーロック・ホームズと、ホームズのお友達のワトソンというお医者さんが活躍するシリーズです。関係ないけど、『名探偵コナン』のコナンという名前は、ホームズを書いたコナン・ドイルからとられました。

・『オリエント急行の殺人』ほか(アガサ・クリスティ
名探偵コナン』の阿笠博士の名前のもとになった、アガサ・クリスティもいっぱい面白い推理小説を書いています。
 
 ・『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ 1847年)
 『秘密の花園』よりもさらに50年くらい前の作品ですが、舞台は同じヨークシャーの田舎です。『秘密の花園』と自然の描き方が全然違ったりするので、比べて読むと面白いです。

 チャールズ・ディケンズ『エドウィン・ドルードの謎』とかヘンリー・ジェイムスの『ねじの回転』とか、イーヴリン・ウォーの『ブライツヘッド再び』とか色々ありますが、まだちょっと難しいと思うので、もうちょっと大きくなったら読んでみてください。




 最後に、どうしてこの本をかなちゃんにあげようと思ったか、書いておきます。
 
 おばさんが最初にこの本を読んだのは、かなちゃんと同じくらいの年だったと思います。その時は、コリンと出会う前の、お化けがいるかもしれない古い大きな屋敷で探検するとことか、秘密の花園を見つけたときとか、ディコンがいっぱい動物を連れてきてくれるところとかが好きでした。子どもがわくわくするものがいっぱい入ってますからね。

 二度目に読んだのは、20歳くらいの時だと思います。その時も、やっぱり面白かったけれど、コリンのお父さんは、お母さんが亡くなったのだから、普通のお父さんよりもっとコリンをかわいがって、大事に育てないといけないのに、いくらとても悲しかったからといって、どうしてコリンを放ってよそへ行ってたんだろう、放っておいたのにコリンが元気になったら大喜びってなんだかズルい…と思いました。
でもそのあと、悲しみというものは人の心をものすごく閉ざしてしまうことがあって、そうなってしまうとなかなか簡単にほぐれないし、誰かが「それじゃいけないよ」って言ってもどうにもならない時があるということがわかってきました。

 あと、コリンのお父さんは本当に「なにもしなかった」わけじゃないですね。血がつながっていないメアリーをインドからおうちに引き取りました。それが結局、コリンを明るい子に変えて、お父さんも悲しみの中から出てこれるようになったわけです。世の中って「狙ってやったことじゃないことが、めぐりめぐって良いことになって帰ってくる」ことが結構あるかもしれないなと今は思います。
三度目に読んだのは、30歳くらいかな? このときは、看護婦さんや遠いところから来たお医者さんが、いくらコリンの背骨が曲がってないと言ってもコリンは納得できなくて、メアリーがカンシャクを起こして調べたり、庭師のおじさんが言ったら、コリンが納得するのが面白かったです。看護婦さんやお医者さんのように、正しい言葉を善意で発しても、それだけで通じるわけじゃないんですね。じゃあどうやったらちゃんと通じるようにできるのか、これからも考えていきたいと思います。

 今読んで、一番好きなところは、コリンとメアリーが森の中でご飯を食べるようになって、でもそれだと食べるものの支度をしてもらうディコンのおうちに負担になるって気が付いて、ちゃんとお金を払うようにするところです。コリンが歩けるようになったのはすごいけれど、最初は自分のわがままばっかりだったメアリーやコリンが、周りの人の様子を見て、気遣いができるようになったことは、もっともっとすごいなと思います。大人にとって、一番楽しいことは、子どもが成長するのを見ることなのかもしれません。
 
 なんにせよ、よい本は何度か繰り返し読むと、前には見えなかったことがわかるようになったりします。この本でも、この本でなくてもいいですけれど、かなちゃんが、何度も発見できるよい本にめぐりあえるように祈っています。