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『戦争における「人殺し」の心理学』byデーヴ・グロスマン

4Gamer.net ― 連載「ゲーマーのための読書案内」第13回:『戦争における「人殺し」の心理学』

説き起こしの話題として著者は,第二次世界大戦における米軍歩兵の平均的な発砲率が,わずか15〜20%にすぎなかったことに触れる。偵察や弾薬のデリバリー,仲間の救出など,もっと危険な任務を進んでやる兵士達も,とにかく敵を撃ちたがらない。
(略)
ことほど左様に,人は人を殺したくないし,戦場に限らず相手の悪意を真っ向から浴びることに,抵抗と恐怖を感じる。著者はそれこそが人間性であり,人類にとっての希望であることを,まず確認する。

例としては「第二次世界大戦における米軍歩兵の平均的な発砲率が,わずか15〜20%」云々。こりゃ少ないわ...

米軍は,そんな普通の兵士達の発砲率を上げることに成功し,朝鮮戦争で55%,ベトナム戦争で90〜95%という成果を収めた。その秘密が,B.F.スキナーのオペラント条件付けを応用した手法であり,具体的には標的の形状や挙動を本物の敵兵に似せ,かつ訓練での成績に正のフィードバック(徽章の授与や外出許可)を加えることだった。訓練と状況次第で,人は人を殺せるようになるのである。

ベトナム戦争の飛躍的なあがりっぷりにたまげた。
んで、〆の話としては、

終章近くで著者は,アメリカの若年層における殺人事件の増加(1957年〜1990年)と,映画/テレビゲームによって起こる(と著者が考える),人格モデル(長上の振る舞いを目下が学ぶこと)なき条件付けの危険性について警鐘を鳴らしている。指揮官の統制を受けない“発砲訓練”が持つかもしれない危険性の強調には,逆に軍のあり方(条件付きで人を殺せる人を育てていること)を社会的に是認する意図のようなものを感じないでもないが,軍の必要性を確固たる信念とする立場から見れば,首尾一貫した主張ではある。例えばメディアが個人に与える影響を論ずる限定効果説と,著者が指摘する「攻撃的精神病質者の素因を持つ者」,そして現実に起こる犯罪との関係についてなどは,著者の説を参照する一般社会側の課題として残されるだろう。

単純な「ゲームのしすぎで犯罪が(ry」とかならもうめんどくさいからヌルーだけれど、前説がコレだとなんだかなー。

=2008/7/25追記=
その後、ほぼ同じ方向性の本がまた出た模様。
戦争の心理学で「殺人当事者力」を鍛えましょう [科学に佇む心と身体]
脳味噌がぱっつんぱっつんにテンパってる時って、訓練によって身体が覚えてる動きは比較的なんとかなるけど、その他のことするのは非常に厳しくなるとかなんとか。
「銃を構えて2発標的に向けて撃ってホルスターにしまう」訓練をやってる警官の中には、現場で2発撃ったんでまだ犯人が健在なのにしまっちゃってエライことになった人もいるらしい。
で、後半はまたまたゲーム害悪論で、「土壇場の事態を突破できる選択肢として『人間だと認識しうるモノを殺す』行為を繰り返す」訓練になっちゃってるという主張なんですが、北米のゲーム文化がまたアレですから、文化的すり込み話みたいなロジックそのものはわからんこともないんですが、すげえ納得いかねえのが、
・モデルガンつかってお互い撃ち合うサバゲー経験による犯罪への影響はなんかないっぽい
・殺戮系ゲームによる影響はある!
という話。
アーケードゲームならまだしも、おうちでテレビゲームとかだと、身体の動きとしてはまったく違うわけですよね。座ってゲームパッドぴこぴこなわけで。
サバゲーの方がはるかに「具体的に」人を殺す訓練(しかも身体コミ)なのになんでー?
そりゃ、やったら自分もやられて、やられたら痛いとかなんとかもあるとは思うんですけど〜。
サバゲー害悪論ぶつつもりはさらさらないんですが、なにがなんだか...よくわかんないお...?