仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

「キサラギ」挿入歌、「ラブレターはそのままで」の破壊力は異常。

今更見にいきましたが、見に行って良かった! 非常に細かくネタが作ってあるので、これこそ愛好家ツール欲しい。
で、詳しいことはまた明日なんだけれど、D級アイドル「如月ミキ」の歌、という設定になってる挿入歌の「ラブレターはそのままで」、タイトルぐぐりでYouTubeから見れるんですが、異常に耳に残る。本気で作ってるナー。ラストチャーンス〜に、間に合うーのーかーな、どきどきしてるわ〜♪ マジでカラオケ作ってくださいお願いします。
わざとへたくそに声裏返しつつ歌って踊られてるのは声優さんぽいんですが、こちらも本気で歌って踊ってるのを聴いてみたい。でもサントラはあのまんまじゃないとダメだと思うんだ……
ちなみにYouTubeで見られるスタッフロール部分ですが、「大磯ロングビーチで行われた清純派グラビアアイドル水泳大会」(→「ドキッ水着だらけのなんとか大会」消失の経緯。 - 仕事用のめもとか。)みたいなイベントの映像、ということになってます。今世紀のアイドル世界よーわからんのですが、なんつーか80年代テイスト。
ただし、一つだけ妙に違和感あるなーとひっかかってしばし黙考し、気がついたのが「如月ミキ」の脚の細さ。押切もえちゃん様が膝上あたりでほぼチップスターの紙缶くらいらしいんですが、ミキ役の方もほっそーい。前世紀だと、アイドルでスリムであってもあの細さっていうのはなかったように思いますです。

アイドルオタ世界は全然知らんので、そっちの教養ある方はどう評価されてるのかと適宜サーベイ
映画「キサラギ」 - 斧屋のヲタ日記 〜ここから始めるアイドル論〜
そんなヘンな描き方ではないっぽい。というか、アイドル/アイドルオタ論として色々ツボを突いてるっぽい。
こちらで言われているこの映画の「主題」は

アイドルに関して彼らは言う。「とらえどころがない」、「虚像」と。ここで僕の問題意識ともかぶってくるのだが、彼らはそのアイドルと自らをかぶせていく。「ここにいる5人だって同じようなもんですよ」「本当なんて分からんよ」「人間はみんな未知である」。僕はここに共感できる。

なのは確定的に明らかなのだけれど、どうなんだろう…。
うーん、相対主義方向なオチにいっちゃうと、仁義なき闘争の末に「唯一の現実」が編まれていく怖さが見えにくくなっちゃうので、個人的には警戒せねばならんと思うところ。
「キサラギ」は「そういうテーマも含んではいるが、それ以上のものも含んでいる」ものとして見た方がたぶん面白い。

以後、既に見た人用。サスペンス物を語るのはネタバレすっとまずいけん困るの。

終盤に近いあたりなんだけれど、ほんとはミキはヘアヌード写真集上等だったのか、それとも毎日泣き暮らすほど厭なことだったのか、そこはもちょっと闘争されるべきところじゃないかと思うんだけれど、オダ・ユージの苦悩を前にみんなで思いっきりまるめに行ってるわけだしね。そのことは、スネイクが(アホっぽく)自己言及してたと思うんだけど(空気読め!とか言ってたような)、家元はとにかく、デブはそれでほんとにいいのか?というあたりがトバされてたかも?という印象。あ、でも前後関係これでいいのかどうか早くもうろ覚え。
なにはともあれ、必殺の「Show me」ネタがあるんだから、デブが暴れても良かったと思うの。ところで、ミキはなぜ「私を見て」の言い間違いとして「Show me」と口走ってたのか、ここでなんかネタ拾えそうな気もしますが。
なにはともあれ、個の不確かさの感覚がいつ頃からか知らんが社会にさまざまな表象で露出してるのはしてるんだけど*1、むしろ、どうやって不確かな自己、不確かな現実を人はやりすごして平気で生きていけるのか、という問いが自分にとっては根幹なんだよなー……まあこのへんは好みの問題ちゃー問題ですが。
ところでアイドルってやりすごしの装置なんだろうか、それとも不確かさを露呈させるなにかなんだろうか。て、このへん、カサブタつついて生傷ちくちくしつつ和むようなもので、両方なのかもしれませんが。

ところで、なぜミキは洗剤ではなくサラダオイルを撒いてるんだと匂いで気づかなかったんだろ。2月だから花粉症?(笑)
宍戸錠先生にはこのへんちょー突っ込んで頂きたいものです。

*1:古いとこから言うとP.K.ディックとか。特に90年代、なぜディック原作ハリウッド映画ががんがん作られて、世紀越えてマトリックスに至ったのかちゅーのは非常に大事なとこだと思う。