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殊能将之×萩本欽一でテレビの個室化

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深夜に目が覚め、とりあえずテレビを点けたら、「100年インタビューSP/萩本欽一」(8/20深夜放送)を放送しており、ついつい視聴してしまった。

 視聴率100%男と呼ばれた全盛期について訊ねられたとき、萩本欽一は「茶の間」をキーワードにあげた。
「洋間では上からの物言いになるが、茶の間では自然と背中が丸くなる。『欽どこ』では明らかに父親(=萩本欽一)が見栄晴をいじめていたのだが、茶の間のセットではそう見えない」(大意)
 これを聞いて、萩本欽一の方法論がうまくいかなくなった理由がなんとなくわかった。

 萩本欽一の全盛期、テレビは茶の間で家族そろって見るものだった。しかし、現在はひとりで見るケースのほうが圧倒的に多いだろう。その結果、ピンポイントのおもしろさが求められてくる。
 家族そろって見るのなら、「大人も子供も楽しめる番組」が視聴率をとることができる。しかし、個人がひとりで見る場合は、そうはいかない。「大人も子供も楽しめる番組」は大人も見ないし、子供も見ないのである。したがって、「大人だけが楽しめる番組」と「子供だけが楽しめる番組」に分割する必要がある。大人も子供も多様な価値観を持つようになれば、さらに細分化が進行する。
 対象となる視聴者層が細分化されると、視聴率をとるためのハードルが上がる。家族そろって見る番組なら、全家族の30%が視聴すれば視聴率30%だ。しかし、たとえば「お笑い好きな小学校高学年児童」を狙った番組では、「お笑い好きな小学校高学年児童」が100%視聴しなければ視聴率30%にならない。(あるいは、それでも視聴率30%に届かないかもしれない)
 この結果、細分化された番組は対象視聴者向けに特化し、よくいえばディープに、悪くいえば独りよがりになっていく。

 要するに、テレビはもはやマスメディアではなくなりつつある、ということだ。さらにいえば、マスメディアという概念そのものが成立しがたくなっているのかもしれない。

再々指摘されてるところではありますが、語るヒト、語られるヒトの組み合わせがツボったのでクリッピング。

しかし、お笑い〜バラエティ番組だとどこが個室化のターニングポイントになったんだろう。
1980年代前半の「ひょうきん族」は、ぎりぎりで茶の間だったと思うのだけれど...年代的には90年代のどっかから、なはずだけれど、なにしろ一人暮らしになると見ないものだから、テレビ文化わからなすぎ。

あ、芸人司会者でみていくっていうのもアリか。
萩本欽一北野武タモリ明石家さんまetcの80年代以前組はお茶の間...とんねるずは個室。ウッチャンナンチャン微妙だなあ...あのヌルい感はお茶の間でいいや。ナイナイは個室? たぶんとんねるずで転回点見るのが正しい気がしてきた。てきとーですが。
で、その後は完全にわかりません。ダメじゃん!

で。
殊能タンは次作はいつ出るノー? もう2、3年くらい口ぽかんで待ってるような気がするんだけれど...
山風は死んじゃったし、島荘はもうわっけわかんないヒトになり、「これなんてイリイチ?」な陰謀論図式にいっちゃって以来京極は読まなくなっちゃって、唯一新刊待ってる作家なんですが...あ、もう一人、飛タンもいるか。あ、そいや泡坂妻夫、最近なにやってんだロ...