仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

句会メソッド。

ブログは座の文芸だ : ブログ文章術 米光一成|Excite エキサイト ブックス

すげえリテラシーとか議論批評能力つきそうじゃん句会!
小学校中学年くらいから週1でクラス内で班分けして句会、学期に一度体育館で対象学年内横断で班分けシャッフルして大会、とかでやったら、すげえ頭のイイ国になりそう...

ICT教育なんかやらないとよろしくないのはよろしくない...んだろうなぁとは思うのですが、じゃあそれ誰がどう指導して、指導するやつにどういう研修させんのよと言えば、フツーにヨクワカラナイ。個人情報出すなとかうかつなこと言ったら炎上すんぞとか、「しちゃいけないこと」は一応「教える」ことは出来ると思いますが、自分の行動のどこがそれら掟にひっかかるのかわかんない人が炎上くらったりネット経由で酷い目にあったりするわけで。端的に言って自分との距離が取れていないということにつきるとは思うんですが、じゃあそこをどう教えられるのかといえば、なにかをまとめて箇条書きにして「教えられる」もんじゃやっぱねえだろと。

んで、国の方でもそれ考えてまして、05年6月17日総務省がほにゃららとリリースを出しまして、例によってぷちっと騒ぎになった後は、自分は続報全然見てないのですが。教育に関する部分は文科省との間で行ったきりなのかも...
blog 国民総ぶろぐ。 - 仕事用のめもとか。(そんとき書いたエントリ)

「情報フロンティア研究会報告書(案)」を読む(この時の騒動の総括)
情報フロンティア研究会報告書(案)
で、ちょっと問題になった部分が↓で。

こうした課題を克服する方策の一つは、義務教育課程である初等・中等教育の段階で高度なICTリテラシー教育を行うことである。個人のICT利用意識の向上にも関連するが、ICTにより実現されるバーチャルな環境を、現実社会と同じ感覚で活用すること、すなわち、サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。

この「教育」をどうやって実際に落とし込むのかどう考えても全然イメージできず、で、さらに教える教員にもネットで実名あるいは特定の仮名で他人と交流するっていうのが困難なヒト、さらには困難を抱えていることそのものに無自覚なヒトが多い場合だってあるわけで、これ、そりゃ美論だけどぶっちゃけ実際どーすんのよ?だったわけなんですが...

「対面しつつ匿名で批評しあいこ(というか、どこが良かったか、あわわだったか指摘しあい)」→「後で誰がどれ書いたか明らかにする」→「〆に推敲してよりよいものにする」ってスタイルの句会っていうのは、ふつーのコミュニケーションスキルも上がると思うし、ネット上でも必ず役に立つと思うです。対面コミュニケーションとネット越し匿名コミュニケーションの仲立ちになるつうか。

当然、小学校でこれやったら、最初の批評でキツいこと言われて泣いちゃう子とか、自分はこう思うのに!ていうのがあるのにうまく言えなくて泣いちゃう子とか、これは気になるあの子の句だ!と信じて絶賛したら全然違う子ので、しかもそれでなんかフラグたっちゃって以下略とか色々あるかもしれませんが。「教育」としてやるなら、「みんなで楽しみながらできればより良い句を作る」て目標設定明確化してそれの達成度とか達成するためにちゃんと動けたかとか自己評価させるとかも素敵。ついでに、道具持って行く&硯洗うのがめんどくさいだけだった書道の時間も自分のベスト句をいろんな字体工夫して書いてもいいとかなら楽しそう。

ネットでどう動いたらベターなのかを「教える」のは相当難しいけれど、句会ならメソッドが定着してるわけだし、何回か句会参加して、研修それなりのことをやれば、少なくとも国語科の教員ならなんとかなんべ。モデレーター能力もあたりはずれあるけれど、一応教師やってるわけだしそれ相応に国語教養あるだろうし(たぶん。きっと)、リタイヤ団塊世代ほか地域の人いれちゃっても出来るわけだし超いいじゃん!と無意味に大興奮。

もとのエントリが一種の教育として行われてるもんなので、教育と相性いいちゃー相性いいのはもともと丸見えですが。