仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

TRPGにおける経験のレイヤー@ゴフマン風味

TRPGをゴフマン風味に分析してる本らしいです。伊藤先生のご紹介参照。

Shared Fantasy: Role Playing Games As Social Worlds

Shared Fantasy: Role Playing Games As Social Worlds


Gary Alan Fine, Shared Fantasy - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

そーいえば昔、遠藤薫先生のヴァーチャル疎外論批判とかお聞きして、そーいう疎外論てなんというか没入してるヒトがどっか別の宇宙に行ってるかのようなイメージでリアリティ疎外を語りがちなんだけれど、それは全然ちゃうというか、物理レイヤーからどっかいってるわけじゃないということをほんと忘れちゃいかんなと思った記憶。

そのあたりのことは、ゲーム批判でありがちな、「ゲームに没入してリアルがどうこう」「ゲームとリアルを混同して」とか、なぜかリアリティの政治に話がいっちゃうような論法に対して、ゲーマーは「んなもん誰が混同するのさ...(呆)」という力無い反応をするしかなかったりしてる状況とたぶんつながらないこともないと思うのですが、「ゲーム」という「遊び」を楽しむためには超超超大前提としてフレームの切り分けと、その管理ができないとダメなわけですヨ。素人にゃよーわからん不思議障害なんかでそれが出来ない場合もあるかもしれないけれど、でもその状態で、切り分けを大前提としてデザインされてるゲームが楽しめるのかどうかはヨクワカラナイ。
そのあたり、夢中になってゲームやってるのを「外側から見る」立場と、「夢中になって体験する」立場の間に深くて暗い河が流れがちなのかなとも思います。

TRPGの場合は対面コミュニケーションなので、そりゃゴフマンが使いやすいけれど、「対面」ではないMMORPGとかはシュッツ多元的現実論の方が記述枠組みとしてはいいのかなぁ...シュッツの場合はすべてが脳内に収斂されてく危険性が常に潜んでたりするので怖いですが。このへんのうだうだ、両者読んでた時代から早くも10年経過中なので気にしないでください。

しかし、ペーパーバックで安いのはいいけど、久しく英語研究書なんざまともに読めてないワタクシ...ちとネト上で研究会でもしてみたくなってみた(締め切りないと生涯積ん読だからorz)