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ゴフマン×ゲーム

ゴフマン「ゲームの面白さ」 - Some Folks’ Lives
拝見して、あーーーーそういえばゴフマン「ゲームのおもしろさ」もあったなー.....と今世紀初めて思い出した阿呆。
ゲームといっても、ボードゲームやカードゲームを前提しているので、複数のプレイヤーがリアルタイムでくねくねするMMOとかにそういえば向いているようなびみょーに調整しなきゃいけないような(なにしろ顔つきあわせゲームとMMOは違うところいっぱいあるですから)
完全うろ覚えですが、ゲーム外とゲーム内のフレームをすりあわせつつフレーム維持行いつつみたいな感じで、例によってのたくり文体に泣き入りながら読んだ記憶。というか、まとめお疲れ様でした...ゴフマンの文章って、わけわからんのもあるけれど、どうも文と文、段落と段落の間の意味が開きすぎてるっつーか独特のまとめにくさがあって、レジュメを切るのはほんとキツかった記憶。

前世紀に、主体視点でリアリティがうにゃらにゃらしてるのはシュッツの多元的現実論で大枠いいとして、んで、ねとわくコミュニティとか日常とは様式の異なる経験をシェアしていくのはゴフマンのフレーム概念じゃねーか*1とか、そこでてきとーに生成される振る舞いの技法はエスノでええやんかとか、無理矢理つなぎあわせて妄想していた記憶。つーか、ゴフマンはシュッツ読んでたのかなぁ...言及箇所見た覚えがない。
久しぶりに読んでみようかなー...まだ家にあるっけ(ダメ)

関係ないですが、MMORPGやらチャットとかある程度動的なネット越しのコミュニケーションでついつい「リズム」を重視してしまうのは、かなり激しくシュッツの影響だと今更。相互に波長を合わせる関係。共にあることの奇跡。云々。....どの論文だったっけ、まぁ戦後論文のどこかの締めのへんだったはずですが。リズム重要なんすよ、リズム。
20世紀に呪われてるかしら。

*1:というかシュッツは、多元的現実がシェアされる可能性はあるとは言ってるけど、どうやって維持されるかとかほとんど言ってないし