仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

「すれちがい通信」の衝撃。

ところで儀礼的無関心て、すっかり無断リンクするしない論のキータームになってるんでしょうか。ゴフマンも草葉の陰でさぞやこの事態にびくーりというか、彼が生きていたら生き生きと炎上事例をため込みまくり、ついでに各地で炎上させまくり&しまくりで大暴れしてたような気がしますがそれはさておき「すれちがい通信」のインパクトなのですよ。

すれちがい通信」、これやってみるとなんというか少なくとも最初の数回は物凄い衝撃です。
「見知らぬ他人となにやら不思議な通信チャンネル経由してでくわし」ということ自体は1980年代くらいからやる人はやってきたわけで、自分ももう10年くらいなんだかんだで世話になっちゃいるんですが、一般的なネットの場合は、相手がクアラルンプールにいるんだか習志野にいるんだか*1に関わらず、等しくよくわからん空間つーかねとわくつーか得体のしれないところにふにふにとつないで、んで、興味関心がかぶってたとか、たまたまとかで出くわすわけです。なんというか超巨大な商店街のくじ引き箱の中に人民をばらばらとぶち込んで、がらんがらんと回してぽて、と出てきたのを引き合わすというかなんというか要するに、かなり抽象的な他人(もちろんその後間合いをどんどん詰めていけるのはいけるわけではありますが)。
すれちがいの場合、これ、ステーション経由でない場合は、「互いに数十メートル圏内に物理的に間合いが入った、顔だって見てるかもしれないけどあくまで他人」なわけです。
ナンパ文化っていうの、よくわからないですけれど、たぶんおそらくかなり強力なナンパエンジンがついている人ですら、朝の山手線でいきなり見知らぬ人に声かけたりはまずしないわけです。見ることが出来る、一緒に駅員に押し込まれてむぎゅむぎゅと押しくらまんじゅうしているかもしれない、けれどいかんともしがたく、儀礼的無関心によって適切に隔てられている他人でしかないヒトと「つながる」。
と、やっぱりこう、この衝撃を言語化するのは難しいのですが、リアルつながりともネットとも違う、異様なっつーかこれまでになかった間合いがすれちがい通信で生まれたんじゃないかなーと思います。
いままでは「リアルつながりのあるヒト」と「知らないヒト」がいて、その「知らないヒト」の向こうにどこにいるのかわかんないけれど、「ネットつながりのあるヒト」って感覚だったんですが、すれちがい通信してるヒトはどこにいるのかっていうと、「知らないヒト」より手前なんですね。特にネットつながりみたいな継続性はないんですが。
なんか都市化で生まれた群衆の風景と社会の在り方の変容となんだかんだがごちゃごちゃ絡んできそうな気もしますが、もちょい整理できたらまあまた書くことにして。

そんなわけで朝すれちがいましたアリスちゃん(たぶん文面からして「ちゃん」付けで良いお嬢さんなのではないかと推定)、桃ありがとうでした。

*1:IRCやってた頃、KLにいるヤツと習志野にいるヤツと東京の自分の間でトレースルートしてみたらば、KLの方が近くて間が13個くらい、習志野は20個くらい間に挟まってた...自分がAT&Tだったのが大きそうですが