仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

磯部成志先生の論文を読んでみた。

昨日のエントリー http://d.hatena.ne.jp/work_memo/20051213/p1 を適当に大学図書館に行ってゲット。あ、卒業生利用なんで鬼コピーマシン化してましたが(疲れた)
浅学非才なワタクシ、今までちゃんと拝読したことがなかったのですが...かなーり物凄く女性(ファッション系)誌マニアかも...
「雑誌は何を伝えているのか(その1)」の方は、今は亡き「きれいになりたい」全巻の内容分析。で、「女性誌の研究ノート--女子大生向け雑誌」の方は、所属先の東洋大学の学部生対象かな、50人くらいですが読者調査のような感じ。More+With派とJJ+CanCam派にぱきっと分かれて、互いに互いの雑誌は読まない、ただしWithはJJ派にもわりと好感もたれている、みたいな感じです。
にゅー、でもなんというか、アカデミックベースでの雑誌研究ってこう...媒体研究とか、どういう人が読んでるのか読者のセグメントの視点とかが弱い場合が多いような印象がありまして、そのあたり先生どうなんですカー!というか、エビちゃんともえちゃんはどっちが好きですカー? 自分的にはもえちゃんなんですが*1(阿呆)と激しく伺いたくなってしまったんですが、ぐぐったら今年の夏にお亡くなりになってたようで...(泣) というか、注も参考文献もついていない論文って初めて見たんですがこれどういうことなんだろう...

現代マス・コミュニケーションの再考

現代マス・コミュニケーションの再考


こちら収録の「提示される個性」(第四章 pp.87-109)も女性誌ネタ。発行部数20万部以上の女性誌を対象にした内容分析ですが、最後の段落が自分的にかなりツボだったので、ちょい引用。

かつて啓蒙的な教養雑誌であった女性誌が,読者の社会環境的要因の変化に応じて,商品を主体としたライフスタイル提案のカタログ的雑誌に変貌し,その必然として数多くの雑誌が発刊されるようになったのは,ひとえに「個性」という不確かな存在を目に見えるものとして提示できると考えたからに他ならない。(中略)要因の数に応じて,分衆向けの女性誌が今後も数多く出現し得るであろう。その場合,商品中心主義からシーン決定への移行によって,その道は開かれると考えられる。商品は静的なものであり,その組み合わせで実態化するが,動的になるのにシーンの決定が不可欠だからである。(pp.109)

97年時点では、もう着回し特集はあったかもしれないけれど、エビちゃん劇場以下小芝居つきカタログはたぶんなかったわけで。ほんだばこの「シーン」てどんなもんがどんな風に提示されているのか、分析したみるちゅーのもアリかいのう、とか思いつつ。おぼろな記憶では、CanCamの場合は、明らかにこりゃ経済的な前提として自宅OL様っしょという消費スタイルにもかかわらず、「家庭」に言及することがほんとに少ない(オフィス、友達、彼氏で世界が完結)ていう特徴がまずありげではありますが。でもどっか、「ママとハワイ」系の特集多い雑誌もあったような気がするんだよなぁ...母娘消費はいずこ。

*1:理由:ネタをネタとしてわかりそうだから。