仕事用のめもとか。

メディア等気になることを適当に。

韓国。オーマイ・ニュース成功の背景。

  1. 既存メディアへの不信感。

とりあえずウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「1980年代の民主化運動の中で、市民弾圧があり、当時のマスメディアは恐れてきちんと報道しなかった」
光州事件。ていうか、これめさめさこわいんですけど…結局200人くらい亡くなったんじゃないかと言われているそうですが。

5月20日 20万以上の市民が軍との抗争に参加、バスやタクシーを倒して バリケード を築く。軍、鎮圧に 火炎放射器 を使用。
5月21日 30万の市民が抗争に参加。軍、光州の電話線を切断。
5月26日 戦車 市内に侵入。市民は道路に横たわって進入を阻止しようとしたが、ひき殺される。

…………あわわわわ。老若男女の市民のみなさまに火炎放射器とか。催涙弾とかじゃないのかよー!

http://homepage1.nifty.com/tkawase/books/0009.htm

一九八〇年五月に勃発した光州事件は、韓国現代史にいまだに深い傷跡を残す悲劇であった。朴正熙大統領暗殺後の韓国で、軍事独裁政権に対する反発は高まっており、民主化運動の高揚が予想された。それを封じようとする軍と市民が衝突し、韓国南西部に位置する光州市において多数の市民が殺戮された、というのが事件のあらましであるが、この事件は八七、八年頃までは「はじめから無かったこと」として葬り去られてきた。しかし市民の間に「共通の記憶」と呼びうるものは醸成され、「光州」は民主化それ自体のシンボリックな「聖地」となっていった。毎年五月には労働・学生運動のメンバーが光州に集い、光州事件の犠牲者を「烈士(志半ばで斃れたものを烈士と呼ぶ)」と呼び慰霊、顕彰するとともに、その責任の所在を厳しく問う闘争を繰り返している(そしてついには事件の五月一八日は一九九七年に国家記念日に制定された)。

…で、別のページから引用(書評の一部だけど)

7、8年くらい「なかったこと」になってた、と。
で、その後民主化が進むにつれて回復されたと。80年代ていうと、今の30代くらいはリアルタイムで記憶に残っているし、そういう状況から自分達が社会変えられたんだって実感ももつことができそうだし。
そりゃまー、政治へのスタンスなり、メディアへの姿勢なり、日本と全然違うわ。こりゃ。

日本の場合も60年代安保と70年代安保と大規模な政治デモとかなんだかんだあったけど、結局残ったのはなんというか無力感?挫折感? 安保の話とか、疎すぎるのでよーわからんが…

とりあえず「社会で連帯してなにかなしとげた達成感」はこう、金の話にしかもてないわけで…… プロジェクトX…………。いや、モノヅクリも大事なことですが。